経営者の煩悩の手放し方とは!?
今回は、手放したいけど、手放せない「煩悩」について、お仏壇のはせがわ、長谷川裕一相談役にインタビューをさせていただきました!
(聞き手:ラボ編集長・大山亜矢子、所長・坂東孝浩)
株式会社はせがわ 相談役 長谷川 裕一(はせがわ ひろかず)
1940年福岡県直方市に生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒業後、家業の長谷川仏具店(現・株式会社はせがわ)入社。1982年4月株式会社はせがわ代表取締役社長に就任。1988年宗教用具業界で初めての上場(福岡証券取引所)1994年大阪証券取引所市場第二部に上場(2012年5月上場廃止)。仏壇の製造直販システム、直営店によるチェーン展開など、社業の発展に貢献。また、国内外に日本仏教文化の普及、仏壇の製作・修復技術者の育成も手がける。2003年東京藝術大学に「お仏壇のはせがわ賞」を創設、京都西本願寺御影堂内陣修復工事、銀閣寺内部漆修復工事など、数多くの世界文化遺産、国宝・重要文化財の修復にも力を注ぐ。主な著書に『日本流』(ダイヤモンド社刊)、『お仏壇の本』(チクマ秀版社刊)、『商人道』(株式会社 はせがわ刊)がある。
ぼんのう【煩悩】
〘仏〙 人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。
大辞林 第三版の解説
煩悩が少ない?自覚が足りないだけじゃない?
長谷川:あなたには、煩悩はありますか?
ラボ編集長・大山亜矢子(以下大山):あると思います。でも、もっと持った方が良いかなと思ってます、私。
長谷川:煩悩が少ない?
大山:そう思います。
長谷川:ほぉ。それはひょっとしたら、煩悩に対しての自覚が足りないかもしれないね。
大山:(!!!!!)
長谷川:というのはね、大体の人は、良いことをしたら神様仏様に救われると思ってる。でも、そういう人ほど救われません。なぜって、全部自分本位だから。自分が救われるために良いことをしようとしているんです。
所長・坂東孝浩(以下坂東):良いことをするのが「自分本位」ですか・・・?
長谷川:そう。本来、何が相手にとって良い行いかは、相手にしか分からない。どう感じるかなんて、人それぞれだから。でも、みんな当たり前のように、自分の価値観を相手に押しつけてしまう。
坂東:グサッときますね・・・「良いことをしてあげている」と、親切の押し売りをしちゃってる、ということですか?
長谷川:そうそう。それで、自分は良い行いをしたんだから仏様が救ってくださると思ってしまう。本当に良い行いかどうかなんて、相手にしかわからないのに。ところであなたは、愛の反対は何だと思いますか?
坂東:(いきなり話の展開が変わったぞ?!)えーと、む、無関心?
長谷川:そう、無関心です。周囲に無関心だから、無自覚に周りを傷つけている可能性に気づかない。それで、自分を善人だと誤解してしまう。だけど、そういう人ってある意味幸せなんです。人を傷つけてばかりいることに日常的に気づいていたら、人は意気消沈してしまうでしょう。
「人間なんて、そんなものだ」と、自覚する幸せ。
長谷川:でも、本当の強さは、自分が誰かを傷つけている可能性を、普段から自覚すること。そうしないと、何かの機会に気が付いたときにボロボロになってしまう。
坂東:そ、そうですね。(いま気づいて、ボロボロになりそう・・・)
大山:でも、普段から常に自覚してたら、余計に辛くないですか?
長谷川:覚悟がないから辛いんです。「人間なんてそんなもんだ」っていう覚悟ができていれば、無自覚に人を傷つけているような人も生きていける。自分で気づかぬうちに何かを傷つけてしまうことや、自分では解決できそうもない悩みや苦しみ、煩悩。そういう、手に負えないことは全部如来様が引き受けてくださいます。ありがたいことです。でも、今の人たちはそういうことをまったく意識していない。目に見えることしか信用していないから。愚かなこと。それを自覚できれば幸せになれるのに。
坂東:自覚したら、幸せになれますか?
長谷川:そう。「人間ってそんなもんだ」って自覚して生きることが幸せなんです。もしできなかったら、いつも不安だと思う。自分が知らぬ間に罪を犯したり、誰かを傷つけるかもしれないという不安でいっぱいになってしまう。言わなくてもいい一言を言ってしまって、その後もうじうじ悩んでしまったり。そういうことが山ほどある。でも「人間なんてそんなもんだ」っていう自覚があれば、もう余計なことで悩んだりしない。
坂東:「知らないうちに人を傷つけちゃってる、そんなしょーもない奴なんだぞ、俺は。」と自覚するってことですね。なるほど・・・。
長谷川:あとね、今の人は五感で感じるものしか信じていない。目に見えるものがすべてだと思っている。けれど、この世で目に見えているものなんて、ほんの少ししかないんですよ。たとえば『空気』とか。目に見えないでしょ?
坂東:空気は見えないですね。意識もしてないです。
長谷川:ね。空気と1万円どっちが大切?
大山:空気。
長谷川:空気と100万円は?
大山:空気。
坂東:え?ほんと?!
大山:だって空気ないと死んじゃうでしょ。
長谷川:空気と1兆円は?
大山:空気!空気!
長谷川:じゃ、空気とダイヤモンド。
大山:空気です!
長谷川:そう考えたら、私たちは今ダイヤモンドより大切なものに囲まれて生きているってこと。
日常で、その喜びって感じてる?
大山:感じてないですね…。
長谷川:森に生えている緑の葉っぱもそう。同じ緑でも、エメラルドよりよっぽど価値がある。だって、私たちが吐き出すCo2を全部引き受けてくれて、酸素に変えて空気を作ってくれる。こんなにありがたいことはないよね。私たちは、普段から宝物に包まれて生きているのに全然感謝をしていない。
水も空気も自然も、みんなタダだから。でもね、『本物』ほど、何か与えることに対して見返りを求めないものです。自然もそう。
坂東:与えても、見返りを求めないのが『本物』?
長谷川:たとえば、お母さんお父さんはどう?子供に見返りを求める?
坂東:たしかに、親の愛情は無償のものですよね。
長谷川:おじいちゃん、おばあちゃんは?御先祖様は?見返りを何も求めてこないよね。みんなが今ここに存在しているのは、ご先祖様のおかげなのに。でも、誰もそれに感謝しない。それでいいの?って思う。
坂東:恥ずかしながら…僕も以前はぜんぜんお墓参りをしてませんでした。長谷川さんからこういう話を聞いてからです、行くようになったのは。昔はご先祖のこととか教わる機会があったんでしょうか?
長谷川:江戸時代には、みんな自分が何のために生まれたかを知っていた。それは、“大往生”するため。往生というのはお浄土に生まれるということ。無限の愛と無限の慈悲に活かされてこの世に生まれてきた目的は、お浄土に生まれるためなんだな、と。そのことに感謝しなきゃいけないな、と。
坂東:“お浄土”っていうのは、この世の先の世界のことですか?
長谷川:うん。見たこともないほど美しい世界をお浄土と言います。そのお浄土に生まれる権利をいただいてるのが人間なんです。
坂東:見たこともないほど綺麗な世界!と言われると…、あの世に行ってみたくなりますね(笑)。
長谷川:落語なんかにも出てきます。豪邸に住む意地汚いお金持ちは地獄に行く。目の前の草花やすべてのものに対し拝み感謝している人間は間違いなく浄土に行く。これが江戸時代の価値観。だから、家に浄土を表す仏壇をおいて朝晩にはお経を読んで、みんなで敬った。私が子どもの頃にも、町を歩くと各家庭からお経が聞こえてたんだから。
坂東:各家庭からお経が!いまとは全然違いますね!
長谷川:お経と言ってもいろんな種類があるんだけど、共通しているのはみな真理を説いていたということ。だから、当時の人はブレない。今の人はどんなに勉強ができても表面的なものしか見ないからすぐブレる。
坂東:ウッ…。割とブレブレです…(汗)
長谷川:精神的な教育を受けてないから、エリート官僚だってセクハラ、パワハラするでしょ?要するに、勉強ができたからって優秀でも何でもない。知識があるだけ。知識があれば偉いと思ったら大間違い。多少知識があっても悪知恵を働かせるばかりだからね。
坂東:息子を大学に裏口入学させたりとか。
長谷川:そうそう。そういうやっちゃいけないことが分からない。日本の代表者レベルの人たちでもそう。本質的に良い生き方をしていない。
煩悩は、敬うべき対象なんです。
大山:「良い生き方」って、どんな生き方でしょうか?
長谷川:うん、それはあるがままの生き方。あるがままとは、宇宙の真理に沿った生き方のことね。人はどうしても罪や穢れを犯してしまうわけだけど、その穢れを如来様に全部お任せして、南無阿弥陀仏と唱えて感謝して生きていく。キリスト教の「アーメン」とよく似ています。宗教心がいかに大切かわかる。自分がいかに罪深い存在であるかを自覚するという点においては、キリスト教も仏教も同じなんです。
坂東:基本的に、人間は罪深いし欲深い生き物だぞ。という前提に立っているということですか?
長谷川:そうそう。でも、今の日本はそれを自覚していない人が多い。「私、煩悩が少ない」ってさっき言ってたもんね。
大山:たしかに自分のことを罪深いとは自覚してなかったですね。私はなんとなく、欲が深い人の方が、エネルギー量が多いというイメージがあって。そう考えると私は欲が足りてないと思ったんです。欲が深い人ほど「世の中に何かインパクトを与えよう」とか「やってやるぞ」という想いがあるから、結果的に社会に貢献していたりするのかな、と。
坂東:そうそう。そういう意味で基本的に経営者は欲深いじゃないですか。 そのエネルギーが強いから会社を興して、もっと発展させたいという想いにつながるのかな、と。
長谷川:でも、そこには絶対に宗教心が必要。経営者ほど、自分の罪を自覚しなきゃいけない。それがないとハチャメチャになっちゃうでしょう。
坂東:エネルギーが悪い方向に行っちゃわないように、コントロールする必要があるということですか?
長谷川:そういうこと。
坂東:「欲を手放す」ということは難しいんでしょうか?
長谷川:欲は如来様にお任せすればいい。
坂東:にょ、如来様にお任せしちゃう?どういうことですか?
長谷川:うん。煩悩(欲)も全て如来様のお働きだからさ。
坂東:ええと、如来様が欲をつくってるということですか?すみません、話が深すぎてついていけません…(汗)
長谷川:如来様の「如」というのは「あるがまま」という意味。そして、「来」は「来る」。つまり、この宇宙にあるものはすべてが大いなる働きによって与えられているという考え方。私の心も身体も煩悩もすべて如来様のお働きによって形成されているんだよね。
大山:というと、長谷川さんはあるがままにしてたら、この「お仏壇のはせがわ」が大きくなったんですか?
長谷川:煩悩をあるがままにしていたら、大きくなった。
大山:この、お仏壇のはせがわを「大きくしたい」という想いも煩悩だったっていうことでしょうか?
長谷川:そうですね。うちはもともとすごく小さなお店で、親孝行のために店を継ごうと思っていたんだけど、学生のときに、何のために自分は生まれ、何のために生きるのかを考えてみたんですね。で、結論は、自分なりに皆さんの役に立つ生き方ができればいいな、と。それが私の煩悩だ、と。それをあるがままにしていたら、お仏壇のはせがわはどんどん大きくなっていったんです。
坂東:役に立つ生き方がしたいという煩悩が、はせがわを大きくしたんですね。なるほど!
長谷川さんは、若いときから欲というか、煩悩は強かったんですか?
長谷川:強い強い。強かったです。
坂東:僕も人一倍強いんですよ。今でも!これって、コントロールできるということですか?
長谷川:そう。それは、教育によってコントロールできる。私の場合は両親からずっと「人のせいにするな」「言い訳を言うな」「逃げるな」「卑怯なことをするな」「弱い者いじめをするな」「見返りを求めるな」と言われてきましたから。日本人は本来、見返りを求めるのが嫌な国民なんですよ。ところがいつの間にか、日本人の本質的な心が失われてしまった。
坂東:うーん、素晴らしいご両親ですね!たしかにいまは、お経や長谷川さんのご両親の教えのような本質的な考え方に触れる機会が少ないと思います。どうしたらいいんでしょうか。
長谷川:煩悩を敬うことです。例えば、煩悩がなかったらあなたは生まれていますか?
大山:生まれてないですね…!
長谷川:そうだよね。お父さんとお母さんの煩悩がなければ、あなたは生まれてこなかった。そういう愛欲がなければ人類は絶滅するわけですよ。食欲、性欲、睡眠欲、それからやる気。これも全部煩悩なわけ。煩悩が無かったらみんな痩せ衰えてしまうし、やる気が出ないですよね。
坂東:そう考えると、僕らは煩悩のカタマリですね…(笑)。
長谷川:だから煩悩は本来敬うべきものなんです。敬うことをしないと、煩悩の使い方を間違うわけ。手当たり次第になってしまう。私の煩悩や、そこから生まれる罪の一切を引き受けてくださる如来様を敬い、感謝する。そうして、ありのままに生きる。そうすると段々、自分の欲や煩悩をコントロールしようという発想もなくなる。無意識化でコントロールできるようになるんですね。
坂東:煩悩。ありのまま。如来様。ようやくつながってきました。
悟りとは、差を取ること。ほどければ、仏様になる。
長谷川:そうやってありのままで生きていると、周囲と自分を比べてへこむこともなくなりますよ。悟りとは、『差を取る』こと。自分も相手も如来様のおかげで存在する尊い存在なわけだから、そこに差はないんです。周りにいる人はすべて敵ではなく、敬うべき対象になるんですね。
坂東:長谷川さんって、分け隔てないし、飛行機で隣り合った人ともふつうに話すし「悟りとは差取り」を実行されてますよね。すごいなあって思ってます。
長谷川:ありのままで生きれば、煩悩に縛られることもなくなる。煩悩に縛られると、人を傷つけ、自分も傷つけてしまうことになるけど、ありのままで生きればそうはならない。如来様のお慈悲を自覚してありのままで生きると、心がほどけていく。ほどけるから、仏様になるんです
坂東:長谷川さんは、もう欲にまみれたりすることはないんですか?
長谷川:ないことはないです。でも、それで苦しむこともない。
坂東:あるんですね、なんかホッとします(笑)。でも苦しまないんですか?それって、欲にまみれた状態もありのまま受け入れるということ?
長谷川:そうそう。お経を上げて仏様の真理を唱えれば、穢れは全部なくなっちゃうから。
坂東:わあ、そんな風に自分をコントロールできたら、かなり精神的に楽になりそうです。
長谷川:仏様が、私たちが解決できない苦しみや穢れを全部引き受けてくださる。それが南無阿弥陀仏なんです。身も心もスッキリして、一切の不安が無くなる。本当に楽ですよ。
坂東:では長谷川さんは、死に対する恐怖もないんですか?
長谷川:ない。
大山:へ~~~!
坂東:死じゃないんですよね。お浄土に行くんですもんね。
長谷川:そうそう。人はもともとお浄土に行くために生まれてきたわけだから。元の自分に還るだけという感覚。煩悩を拝んで、ありのままに生きる。いちばん幸せな生き方だと思うよ。
「煩悩の手放し方」について、教えを請いに伺った手放すラボの面々。長谷川さんからは「掴んで離さなければ、何も入ってこない。手放せば、すべてと共にある。」という仏教観からはじまり、さらには「煩悩を手放すのではなく、ありのまま受け入れる。」という『手放す』の先を行く考え方までお聞きすることができました。悟りの境地に達するにはまだまだ修行不足な私たち。引き続き研究を重ね、精進していきます…!
編集後記
「おててのしわとしわを合わせてしあわせ。な〜む〜」「拝むことがしあわせに繋がる」。幼い頃からずっと聞いてきたこのCMの言葉も、長谷川会長のお話を聞いた後では、とても深い言葉だと感じました。現代を生きる人々にとって「あるがままに生きる」ことは簡単ではないかもしれません。ですが、手放す経営を追求した進化型組織には、それができる環境があるのでは?インタビューを通じてティール組織でいう3つのブレイクスルーのひとつ、“ホールネス”の考えに通じるものがあると思ったのでした。