2021年6月にオープンした美容サロン「BONDZSALON」では新しい組織のカタチである「ティール組織」に取り組んでいます。
▶︎ティール組織について知りたい方はコチラ::https://tebanasu-lab.com/pickup/2438/
前回の記事では組織の仕組みについての特徴をご紹介しました。
今回は、BONDZSALON共同代表の鈴木太一さんが、なぜティール組織を作ろうと思ったのか、そして、ティール組織を作る上での葛藤と今後の展望についてお話を伺いました。
目次
美容師になるきっかけを探していた
僕は今42歳(2022年8月1日時点)なんですが、高校を卒業する頃、ちょうど木村拓哉さん主演の「Beautiful Life」が流行っていて、いわゆるカリスマブームでした。特にやりたいこともなかった僕は、そのカリスマブームに乗って美容学校に通うことにしたんです。
でも、美容学校を卒業してすぐには美容師になりませんでした。
美容師になった後の目指すべき姿がイメージできず、そんな状態で美容師になってもすぐに辞めてしまいそうだと思ったからです。
20歳くらいでちょうど遊びたい年齢だったというのもあると思います。
美容学校を卒業してから2年間は遊んで、いろんな経験をしようと決めました。
でも、実際は美容師になるためのきっかけをずっと探していたんだと思います。
美容師になるきっかけをくれたのはニューヨークでした。
このニューヨーク行き、実は偶然で、この渡米をきっかけに美容師になるとは思っていませんでした。
当時Barで働いていた時、海外からものを仕入れて日本で販売するようなバイヤーの仕事が流行っていました。
Barのお客さんがバイヤーの仕事をしていて、「航空券代を持つから一緒に行こう」と誘ってもらいニューヨークに行くことになったんです。仕事も2週間の休みを取っていました。
ですが、実際にニューヨークに行く当日、その人と連絡が取れなくなってしまったんです。
どうしようかと思いましたね。
でも、仕事も休み取ってるし、ニューヨークに友達もいる、、、せっかくだから行こう!!ということになり自分達でチケットを取り直してニューヨークに行くことにしました。
ニューヨークの街がすごく好きで、歩いているだけで多くの刺激を受けました。
「こんな街で美容師ができたらいいな」と思いBarのお客さんに話したところ、ある美容室を紹介してもらうことができました。それが以前勤めていた美容室です。
美容業界の当たり前と違和感
その美容室は入社すると2年間の海外研修に行くことができました。
ビルの中の2、3階にそのサロンが入っていたのですが、各階に「ドン」と言われるような人がいました。
当時の美容業界はバリバリの体育会系の風習があり、ドンに気に入ってもらえるかどうかが、アシスタントからスタイリストになれるかどうかの分かれ道でした。
ありがたいことに、僕は割と気に入ってもらえて1年半くらいでスタイリストになることができました。
一方で、気に入られなかった人はやっぱり苦労していましたね。
もう20年以上前の話ですが、マンハッタンの街を走らされた同僚もいましたよ笑 今思えば不思議な風習なんですが、当時はそれが当たり前だと思っていました。
美容業界の当たり前に違和感を持ち始めたのは、僕自身がマネージャーになってからのことです。
思ったより数字が上がらなかったり、人が辞めていくことを経験して「あれれ?これはおかしいぞ」と思うようになりました。
違和感を持ったけれど、原因は全くわかっていなくて、「売上が足りないんだ!もっと売上をあげよう!」と考えていました。お金がないせいだと思っていたんです。
それから現場の美容師と力を合わせてどんどん売上を作って行きました。
思いつくことは色々と試しましたが、残念ながら現場は疲弊し、辞めていく人が減ることはありませんでした。
できることは全てやり尽くした
その美容室はニューヨークやロンドンなどに店舗があって社長1人ではマネジメントの手がまわらないこともあり、お金周りのことも全て見せていただいていました。
だからこそ気づいた違和感もあるし、本当に勉強させてもらったと思っています。
それでも、現場で人が疲弊して辞めていくことは嫌でした。だから、根本的な仕組みを変えないといけないと思ったんです。
今のように現場が頑張った功績を搾取されるようなことを無くすためには、資本と決定権を社長と分けないといけないと思いました。
そのために、社内独立制度やフランチャイズ制度などを考えては提案し、交渉を重ねました。約10年間、あの手この手で交渉を続けましたが、結局条件が合わず上手くいきませんでした。
かなり粘り強く色々と交渉したんですけどねぇ…
人を大切にしたいという想い
色々と試行錯誤を繰り返す中で、一番印象に残る出来事がありました。
それは、マーケターの子が活躍できる場所を作れなかったことです。
彼は元々ニューヨーク店で働いていたのですが、日本に帰国した後は違う美容室で働いていました。
うちに入った時も最初は美容師をしてくれてたんですが、薬品のアレルギー反応か、髪の毛がほとんど抜け落ちてしまって、美容師を断念しました。
そんな事からマーケターに転身してもらいました。
彼が入社してくれたおかげで東京での展開が2店舗から4店舗に拡大できたんです。
集客自体も上手くいきましたし、マーケティングのプロセスも自動化することができました。マーケターの彼の大きな功績ですよね。
ですが、自動化されたマーケティングの仕組みが出来上がった以上、お店の経営を考えると彼にずっと活躍し続けてもらうことが難しい環境でした。
こんなに頑張ってくれたのに、活躍の場を作れなかった・・・
それが、ものすごく悔しかったですね。
どんなに頑張っても上手くいかなくてやめて行ってしまう。
マネージャーをやっていて一番耐えられなかったのは、人が途中で挫折したり辞めていくことでした。
権力を持っている人は、「自分が都合がいいように」とも思っていないかもしれませんが、権利を権利として行使するから誰も幸せでなくなってしまいます。
それが嫌でした。現場がどんなに頑張っても、上手くいかなくて辞めていってしまう。
その社長は「みんなのため」と言いながらやっていましたが、辻褄が合わなくて信じられなくなってしまいましたね。
最終的には、急に辞めることになってしまったマーケターの彼に仕事を渡したくて、2019年に株式会社Borderlessを立ち上げたんですが、それが社長にバレてしまって僕も会社を辞めることにしました。いいようには思われなかったので。
「すべての美容師が輝けるサロン」立ち上げに向けた模索
独立することは辞める1年前くらいから決めていました。たくさん違和感を抱えながら約10年間試行錯誤してきたからこそ、これまでの業界の当たり前に縛られない組織作りが必要だと思い、組織について調べ始めました。そんな時に出会ったのがティール組織です。
店舗オープンから1年以上経った今では、ある程度形ができて順調にまわっていますが、ティール組織を作っていく時は難しさもありました。
やったことがないことや、決まっていない制度をどうやって決めていくのかは迷いましたね。
例えば、意志決定するための「助言プロセス」についても、助言プロセスを投稿してからいつまで待てばいいのか?や、関わりのない人からの助言をどこまで聞けばいいのか?などは探りながらやってきました。
こういった制度を作る上での難しさもありますが、僕個人としてはこれまでのマネジメント手法との違いによる葛藤もありました。
共同オーナーと一緒に経営をしているのですが、同じ立場だとどうしても同じものを求めてしまって、共同オーナーから怒られたこともありますね。同じ立場でもやりたいことや出来ることが違います。
それを受け入れ、それぞれが出来ることをやっていくことが大切だと知りました。
こうやって話をすると簡単そうに聞こえるかもしれませんが、結構葛藤しましたね。
今は本当に良い組織作りができていると感じます。将来的には美容業界がこういう経営にシフトしていって欲しいと思っています。新しい組織の在り方に気づいちゃったので、やるしかないですね。
昨今の美容業界は店舗が多すぎると言われています。
そして、美容師が過酷に働いていると思います。
低単価だと300時間くらい働いて40-50万しかもらえないこともあります。
自分の価値をお客様に伝えられるようになって、関係性を構築して、ちゃんとした対価をもらうことを当たり前にしていきたいです。
あとは、自分がどれだけ働きたいかを選べるようにしたいですね。こうやって業界の働き方の改革をやっていきたいと思っています。。
元々は数字を追いかけるのが好きだったので、働き方改革で1万人の美容師を輝かせたい…と思ってやっています。あまり数字を追い求めすぎてはいないけど、それくらいの気持ちでやっています。