はじめに
手放す経営ラボラトリー所長の坂東孝浩です。
Logic Architecture(株式会社ロジック)創業者・吉安孝幸さんのロングインタビューをお届けします。
ロジックを創業してキラキラの組織づくりに成功し、順風満帆だった吉安さんの組織に忍び寄る陰・・・
その原因はなんだったのでしょうか?
前後編の、前編をお届けします!
吉安孝幸(よしやすたかゆき)
Logic Architecture 創業者
株式会社lhアーキテクチャ 代表取締役会長
建築家との協業や若手設計士の育成により、高いデザイン性のプロダクトを量産する試みを行い、創業以来10年間でおよそ1000棟の住宅を手掛ける。創業10年を節目に事業を手放して、現在は地域ビルダーのブランド化の支援今後はアフターデジタルの社会を見据えた新しい建築ビジネスを関東を拠点に展開している。
私と吉安さんとの出会いは約二年前。進化型組織の情報発信をしていた私たちに、吉安さんから相談を頂いたことが、はじまりでした。「会社をティール組織のような進化型組織にしていきたいが、うまくいかない」そこから私たちは、組織づくりプロジェクトのサポートに関わらせていただくことになりました。
2010年、熊本県で株式会社ロジックを創業した吉安さんは、瞬く間に確たるブランドを創り上げ急成長。住宅業界では全国的に名が知られるようになりました。ファンづくりに長け「ロジックで家を建てたい」と名指しで訪れるお客様が多く、値引き交渉や受注後のトラブルも少ない。業績も右肩上りで順風満帆に思えたロジックですが・・・成長に影がさします。
きっかけは2016年4月に起きた、熊本地震です。
5年後の2020年。吉安さんはロジックの住宅ブランドを手放し、大手家電量販店への譲渡を決断します。
「これまで、バンバン投資をして事業を拡大するってことにロマンを感じてきました。でも、好き勝手やらせてもらったので、一旦、十分に気が済みました」(吉安さん)
住宅業界のカリスマは、なぜ会社を手放したのか(手放さざるを得なかったのか)。
好調だった業績が熊本地震によって、どうして停滞したのか。現在のロジックはどうなっているか。
進化型組織への挑戦はどうなったのか、などなど。再始動している現在の吉安さんに、ホントのトコロをお聞きします。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった住宅会社は、いかにして失速したか
坂東:お久しぶりです、吉安さん。最初に(このメディアで)インタビューしたのが2018年6月ですから、もうすぐ3年がたちますね。あれから、いろいろあったとお聞きしています。今日は、じっくり話しましょう。まず、ロジックという組織のことを簡単に聞かせてください。
吉安:創業は2010年、注文住宅をメインにした住宅会社です。創業から6,7年くらいは、めちゃめちゃ好調でした。自分でいうのもなんですが、飛ぶ鳥を落とす勢いというやつで。
坂東:急成長していた当時を思い返して、あえて一言でいうとどんな状況でしたか?
吉安:「会社が拡大しない理由がわからない」という感じです。
坂東:確認ですが、創業当初から、「何かのタイミングで会社を手放す」そう考えていたわけじゃ、ないですよね?
吉安:もちろんです。次から次に、入社希望者もお客様も、いろんな人が吸い寄せられるようにロジックという会社に集まってきて。
いくらでも組織を拡大できると、当時は感じていました。お客様からの注文は、どんどん増えていくし。その結果、顧客満足度は高まっていく。今思い返すと錯覚だったわけですが、当時はそんな心境でした。
坂東:ロジックが成長していくなかで吉安さんは、どんなことを大切にされていましたか?
吉安:「どうしても、これがほしい」と、自分が心の底から思うことができる商品(住宅)をお渡しすることです。
価格帯は、普通の人でも頑張れば手が届くような水準にする。車にたとえると、フォルクスワーゲンのゴルフ、BMWの1シリーズなどです。その”注文住宅版”が、ロジックであるというイメージを持っていました。
これを追求していたら、おかげ様で、お客様から認知していただけるような会社になって。すでにロジックは私の手を離れていますが、いまだに、「ロジックで家を建てたい」ということで、嬉しいことに私のところに問い合わせが来ます。本当にありがたい話です。
坂東:好調だった組織に、陰りが見えはじめたのはいつ頃?
吉安:2016年頃です。
坂東:きっかけは?
吉安:熊本地震です。翌年の2017年くらいまでは良かったんですが、それ以降から大変に。
坂東:「2017年くらいまでは良かった」とは、いわゆる復興特需ですか?
吉安:いや、それとは少し違います。当時、施工会社のほとんどは、「地震に強い家」をうたおうとして、明らかに復興特需を狙うようなマーケティングをはじめたんです。
そこに対して私たちは、被災者の心情を傷つけないように気を配りました。ロジックの評判は良かったです。何よりも、ロジックで建てた建物が本当に何ともなくて、不幸中の幸いです。
坂東:ロジックが建てた家は、地震の影響を受けなかった?
吉安:受けませんでした。あれだけの大地震で。
坂東:依頼が殺到したとか?
吉安:いえ。いろんなビルダーさんの家が倒壊し、それがネットにさらされ、ロジックでも“風評被害”が起きました。
その対応で通常業務が追いつかないわけです。なので、まずは、お客様対応ですよね。
当時、私たちは五百棟を引き渡しただけ。会社の全メンバーで回っても、なんとか対応できる棟数です。
地震が起きた12時間以内に、すべてのお客様に電話で連絡をとって安否確認し、「どういう支援が必要ですか」と、ヒアリングしました。
それを会社のメンバーが自発的にやってくれたんです。地震があった直後の私たちは、トランス状態というか。お問い合わせに対応すればするほど私たちは感謝していただいて、大変な状況下にいるお客様からは、めちゃくちゃ喜ばれて。
それが二か月、三か月くらい続きました。不幸中の幸いというと、とても不謹慎かもしれませんが、地震によってロジックの結束が一層、強くなったというか。コンビニの配送車みたいな、あのサイズの2トントラックが全国から熊本に来るわけです。「わ」ナンバーの車が次々と、支援物資を積んで。
「ロジックへの支援」として会社に来たトラックの台数だけでも、ゆうに百台は超えました。
坂東:2016年に熊本地震が起きたとき、吉安さんはご自宅だったんですか?
吉安:いえ、ミラノです。熊本が大変なときにふざけていますよね。
坂東:自宅どころか日本を離れ、イタリアにいたんですか?
吉安:はい。ミラノからドイツのフランクフルト空港に着陸する寸前、というタイミングです。
地震のことはLINEで知りました。「熊本、大変なことになっています。今どこですか」と。
それで急きょ、一泊三日で帰国することに。空の上にいるときは、ずっと、「とにかく支援物資を熊本に集めてくれと」と連絡して。
福岡空港に戻ると、支援物資が積まれた三台のトラックが待機してくれていました。それに私も同乗し、車を走らせます。時刻は夜中の3時くらい。高速道路はふさがれていたので下道を行くわけです。
「ロジックのお客様だけじゃなく、熊本の人たち全員を支援するんだ」という気持ちです。
その一心で満たされていたというか陶酔していたというか、その時くらいが幸せの絶頂ですね。
手放してはいけない社長の役割とは?
吉安:地震による災害があると、いろんな物事がうまく回りません。
例えば、人手が足りないので業者間で業者の取り合いになるんです。私が直接、いろんな業者さんとやりとりすると、「吉安さんがいうなら、仕方ないね」という感じで動いてくれる部分も、当初はありました。
でも、圧倒的に作り手となる業者が足りない。取り合いは、ずっと続きました。
そこを私は、いつしか任せっ放しにしてしまったんです。
当時、いろんな役割を手放していたんですが、「そこは、まだ吉安の役割」という部分まで、周囲に委ねすぎたように感じます。
坂東:委ねて、どうなりましか?
吉安:必要な人を集めることに苦労しました。それによって工期が遅れます。
坂東:それ以前と、どのくらい違うものですか?
吉安:四か月で完成していた住宅一棟の工期が、長いところで一年半くらいかかるようになりましたよ。現場は疲弊し、社内の人間関係は、ぎくしゃくする。そこをなんとかしたくて。
坂東:何か策を?
吉安:施工管理のみならず、経験豊富なベテランをバンバン、スカウトしました。プロを入れたわけです。
坂東:状況は改善した?
吉安:いえ。優秀な人材はそろったものの、ロジックのカルチャーに馴染めない人が増えたこともあり、プロとしての主張が強く、それによって収集がつかなくなったんです。このあたりから、「ロジックらしいものって、なんだろう」が崩れはじめましたかね。「これはロジックらしくないから、かっこ悪いよね」という価値観がロジックにはあったんですが、その”らしさ”を社内で誰も求めない。
私は、ロジックのカルチャーに共感した人が入社する組織を作ってきたつもりでした。その入り口を自ら壊していたんです。
坂東:「らしさ」ではない何かを重視してしまった?
吉安:そうです。
坂東:それは、なんでしょう?
吉安:プロ意識やスキルなどです。普通なら当然の思考だと思います。当時の私も、プロのスキルが工期の短縮や、事態の進展につながると思っていました。
坂東:でも、ロジックにおいては違った?
吉安:違いました。さらに、大切にしていたカルチャーへの共感具合をしっかりすり合わせなかった。誤解を恐れずに言うと、待遇で釣るような採用になってしまっていたのかもしれません。
そのつもりは私に一切なく、「思い」「共感」「らしさ」によるスカウトをしているつもりでした。私の思いに共感してくれた部分は、相手にも当然あったと思います。難しいですね。
この記事をロジックのメンバーが読んだら、どう思うだろう……。こうして真摯に話すことへの葛藤もありますが、でも、当時の私が誤解を与えたり足りなかったりしたのだと感じています。
坂東:当時の雰囲気に変化はありましたか?
吉安:ありました。カルチャーフィットしたメンバーと、そうでないメンバーとの間で思いがぶつかるんです。
結果、強くなっていったのは、「こんなクオリティで、お客様に引き渡すなんて許せない」といった雰囲気です。
それまで、クリエイティビティは高いものの、経験の浅い組織ではありましたが、楽しくやった結果でお客様に喜んでもらっていて。そうしたポジティブな雰囲気が消えていきました。
坂東:スペシャリティが高いベテランを集めることに成功したが、チームとしては機能しない状況?
吉安:はい。ベテランのクオリティを若いメンバーに求めていく、それを追求することは良いことだと。姿勢そのものは素晴らしいと思います。同時に、それまでロジックが大切にしていた何かが失われていったんです。表現が難しいですが……。
注文住宅というプロダクトは、かたち通りに打ち合わせをすることで完成するという一面があります。”カタを追う”、というか。その側面を生かすことで、若手にも仕事を任せることができます。
それをたたき上げで一人前になったプロが見ると、”半人前の仕事”のように感じる場合があるわけです。
坂東:プロスポーツ選手がアマチュアチームに入って、物足りなさを感じるようなイメージですかね。実際に、社内ではどんなことが起きましたか?
吉安:基準がどんどん下がるという現象が起きました。たとえば営業です。それまで、ロジックにもスタープレーヤー的な連中がたくさんいて。当時は、毎月一棟ずつ、年間で十二棟を売るというのが一つの当たり前でした。新入社員が入ると三か月くらいで、まずは一棟の契約。あとは、それが毎月の契約になっていく。この基準はベテランが増えるにつれ、次第に下がっていきました。
坂東:以前は、どうでした?
吉安:「住宅業界の常識に合わせる必要ないじゃん。お前なら、これくらいできるよ」って。モチベーションあげて、とんでもない成果をあげて。それをみんなで共有し、いつしかロジックは周りから、すごくキラキラした組織として、見られるようになりました。
坂東:キラキラとは?
吉安:働いている人が素直で人柄が良く、みな、一生懸命に頑張るような。新卒採用も精一杯やっていましたから、新卒メンバーへの思いもありましたね。
本社の地下をBARとして定期的に開放。社内外の人との交流の場となっていた
坂東:「採用時と話が違う」そう思われないだろうか、とか?
吉安:そうです。極端な言いかたをすると、ロジックに来てくださるお客様は、ロジックが作っているモノよりも、ロジックにいる人に共感して来てくれていた気がします。類は友を呼ぶではないですが、お客様もキラキラしていました。そんな状況を県外から、視察と称して、いろんな人が見学に来て。
坂東:同業者が?
吉安:いや、同業も他業種も。
坂東:頻度にして、どのくらいですか?
吉安:週に一社、二社というペースだった頃もありました。
坂東:みなさんの目的は?
吉安:「どうやったら、こんな組織ができるんだ」ですね。そんな組織が、いつのまにか変わってしまった。こんなことになるとは夢にも思いませんでした。ベテランやプロが集まったことで、そうじゃない人が陰を潜めるような組織へと変わり、「未熟なのに成果をあげて、許されるのか」そんな雰囲気さえ、社内に漂いました。
輝いていた若手が活躍の場を奪われ、セールスが落ちはじめます。
次第に粗利がとれなくなる。利益が上らず、受注が伸びない。働く人のモチベーション、気分に悪影響が及ぶ。
熊本地震の翌年くらいから、生産性はグッと落ちました。
「お前ら大工で、プロだろ。素人に聞くな。自分で考えろ」経営者が担う役割、手放す役割
坂東:ここまで話を聞いて思うのは、悪循環に陥った原因は、作り手の問題にどう対応するか、だったように感じます。ご自身ではどう振り返りますか?
吉安:当時、「よそはこのくらいの単価でやっているのに、あんたのとこだけ、それよりも安い金額でやるのか」「よそはこんくらいの金額だから、ロジックさんでも、このくらいでやらせろ」と、いろんな業者さんから言われました。
そういうやり取りで激しく消耗していったのが、現場の管理を任せていたロジックのメンバーです。その状況を私は、ちゃんと理解できていなかった。
坂東:現場を管理するスタッフとの間に溝のようなものが生まれたと?
吉安:非常に大きな問題でした。現場の人たちは、「いくら頑張っても、あいつら(経営層)は誰もわかってくれん。言うだけ無駄だろう」と。
次第に現場は、モチベーションが下がっていきます。そんなことが続いたある日、熊本地震から一年半後くらいの出来事です。現場の施工管理をしていた人たちが辞表を出してきました。
坂東:何人くらいですか?
吉安:当時は施工管理を8人ほどで回していましたが、辞表を持ってきたのは7人です。
坂東:どのくらいの期間に?
吉安:同時です。全員が同じ日に持ってきたんです。
坂東:7人が同時に辞表を出した?
吉安:はい。私の感覚からすると、施工管理はシステマティックです。「チェックシートなどのツールを使えば、頑張れば新卒一年生でもできる」というもので。それが、いつの間にか”属人的な仕事”になっていました。教育なんてものもなく、「俺の背中を見て学べ」「俺が若いときは大工にぶんなぐられて成長した」と。
それが人を成長させ、ポジティブな影響を与える場合があるのかもしれませんが、ロジックの場合はネガティブに働きました。
坂東:ネガティブな影響とは?
吉安:プロが自分の仕事を属人化し、社内の仕事が聖域化するという影響です。
坂東:「誰でもできる仕事」では、なくなってしまうという?
吉安:その通りです。大人のプロ集団が仕事をしたときに起こりがちな出来事です。
坂東:7人が同じ日に辞表を提出した背景には、ベテランたちによる仕事の聖域化があった?
吉安:大きな要因だと思います。ただし、誤解のないよう付け加えますが、彼らは彼らで、悪気があったり困らせようとしたり、そんなつもりはなかったはずです。
坂東:彼らは彼らで、良い仕事をしたかっただけ?
吉安:そうだと思います。他方で、施工管理の仕事が、「誰もができる仕事」ではなくなり、現場と私との間の溝は深くなった。
今でこそ、そうやって振り返ることができますが、当時の私は振り返ることをせず、立ち止まって考えることすらありません。
「現場管理は、システムを導入すれば、どうにでもなるはずだ」「業者さんは全国を見渡せばいくらでもいるだろ」そうやって前や遠くだけを見て。ナゾのポジティブさですよね。
坂東:会社を大きくしてきた吉安さんの成功体験が、根拠のない自信を生み出していたんですかね。
吉安:それでいえば、「この会社をここまでもってきた」という成功体験だと思います。一緒に働く仲間の気持ちや声に、もっと耳を傾けるべきでした。
私は、現場の人の感情をさかなでしていたんです。
人が重要な現場において、人を大切にせず、「システムで回せば済む」と。そんな簡単に現場は回らない。現場が回らなくなると、お金が回りません。お金が回らないということは、その会社がつぶれるということです。
坂東:実際はつぶれなかった。スタッフが7人も同時に辞めて、そのあとはどうなったんですか?
吉安:施工管理のメンバー7人が辞めた3日後に、これからの体制を発表しようと、業者さんを全員集めました。
そこで、「ロジックがつぶれる」という噂が立ちました。どこからともなく私の耳に入ってきたのは、「現場管理が一斉に辞めて、どうやっても現場は回らん。あの会社はやばい。つぶれる。
今日、呼ばれたのは債権者集会のようなものだ」そんな声です。
普段なら来ないような関係者が来たり、なかには自分の奥さんを連れて来る人がいたり。
そんな雰囲気のなかで、「ロジックは今後、こういう体制でやります」と私が話しても誰も信じません。
翌日からは、ひたすら、毎日毎日、若手を施工管理に投入しました。でも、彼らは現場で業者の人から、「おまえらに何がわかる」と、いびられる日々です。
坂東:若いスタッフを施工管理に回した理由は?
吉安:「システマティックな施工管理の仕組みを入れることで、以前のような現場に戻せないこともないだろう」くらいの意識です。甘かったですよ。ロジックは最盛期だと120名くらいの組織でした。
規模が大きくなっても、個人が自律して動き、キラキラした人が多かった。
「やらされ感」はなく、社内がポジティブな雰囲気に包まれていました。
ただ、私がいろいろと仕事や役割を手放すなかで、まだ、手放すには早い役割があったというか。当時は思いが及ばなかったですが。
坂東:手放すには早い役割とは?
吉安:職人さんとのコミュニケーションです。「吉安さんが言うなら仕方ない」そう思ってもらえる関係性を相手と築くこと。
坂東:吉安さんは”人たらし”だから、得意分野ですよね。
坂東:職人さんと信頼関係を作ることは吉安さんの大事な役割だった。それを早々に手放してしまった。そのことを後悔されていると?
吉安:はい。そこを手放したのはマズかったです。同時に、以前の私はむちゃくちゃ言っていました、笑。たとえば、私が職人さんにお願いすると、「できるわけない。けど、あんたがそこまで言うなら、やってやるよ」って。その前提にあったのは、独特な関係性です。
でも、その関係性を作ることや保つことを当時の私は、「自分が担うべき大切な役割」と気づいていない。さらに私は、ある日、突然、その役割を手放したんです。
坂東:自分でも気づかず?
吉安:そうなりますね。そんな状況で、関係性を持たない若手が現場に来て話しても、ベテランの職人が耳を貸すわけがありません。
坂東:吉安さんが職人さんに言っていた“むちゃくちゃ”とは、どんなセリフですか?
「お前ら大工で、プロだろ。素人に聞くな。自分で考えろ」
吉安:これは、大工さんからの、「納まりが、わからない」という指摘に、間髪入れず返していたセリフです。そう突っぱねて追い返していました。
そんなむちゃを言うと、「そうか。俺の仕事か。じゃ、やるか」となる。その後も、なんだかんだとありますが、私がお願いする最後はバシッと、やってくれていました。
坂東:「納まりが、わからない」とは?
吉安:壁、幅木など、素材が変わるなどして、つなぎ合わせる部分があります。そこを目立たないように、自然に、美しく”つなぐ”ことです。それができると見栄えもよくなり、「納まりが良い」ということになります。
坂東:“むちゃくちゃ”をベテランに向かって若手が言うのは厳しいですね。視点を変えると、もしかして吉安さんの仕事のやりかたも属人化したものだったのでは?
吉安:おっしゃる通りです。結局、私の属人的な、私の“人たらし力”だったんでしょう。
坂東:そういう役割を担えるように育てる。もしくは、属人的なコミュニケーションを辞めて、違うやりかたに取り組んでから手放す。そうしたアプローチも、あったのかもしれませんね。
後編に続く
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