田原真人さんプロフィール
「生きている状態とは何か」この問いに興味があり、大学院では複雑系の物理、生物物理を専攻。その中で出会ったのが、「自己組織化」という考え方。
2012年にオンラインコミュニティ「反転授業の研究」を立ち上げここで人間の活動を自己組織化できないだろうかと考える。かつて学んだ知識をもとに試行錯誤をしながらコミュニティ運営を行った結果、4400人の活発なコミュニティへと成長。また、Zoomを使った参加型のオンライン講座のノウハウを確立。
このような経験を元に、コミュニティが自己組織化するプロセスを体系化。
(プロフィール)
早稲田大学物理学及び応用物理学専攻博士課程中退。元河合塾講師。「反転授業の研究」代表。Zoom革命代表。国際ファシリテーターズ協会日本支部理事。Flipped Learning Global Initiativeアンバサダー。『微積で楽しく高校物理が分かる本』『Zoomオンライン革命』など著書10冊。
田原真人さんHP:https://masatotahara.com/
■デジタルトランスフォーメンション時代の組織デザインプログラム「DXO」
■手放す経営ラボラトリーでは、“ティール”“ホラクラシー”など進化型組織や最先端の経営スタイルを研究。また自社でも実証実験を重ねており、その様子をYouTubeやコラムでお届けしています。 また、組織をアップデートしていきたいという企業の支援をしています。
■オンラインコミュニティー「手放す経営ラボ」
https://www.facebook.com/groups/tebanasu.lab
■twitter @tebanasu_lab
参加型社会とは?
坂東:田原さんが今、本を執筆中ということで、その本の題名が「出現する参加型社会」という書籍で来年4月に出版予定なんですよね。その参加型社会というのは何なのかをお聞きしたいんですけど。
田原:参加型というのは何なのか、いろんな説明の仕方があると思うんですけど、人が行動する時に、大きく分けると、やれと言われて外発的動機付けでやるのと、そうじゃないのとあると思うんですよ。そうじゃないのも2通りあると思っていて1つは、内発的。例えば自分のエゴというか、自分をなんとかしようと思って活動する内発。もう1つは誰かのため。
みんなが協力して世界の可能性を探索しているんだと考えると、例えば武井さんが僕の代わりにそこを担当してくれているよね。という気持ちになる。
武井さんを応援することは、武井さん本人を応援しているのではなく、自分がもう1人いたらやりたかったことを武井さんが代わりにやってくれていると考える。
武井さんは自分だという感覚が、自分が何かをやるのとはまた違う感覚なんですよね。何かを一緒にやるというのは共に創る共創のベースにある感覚。参加型というのは共に創る共創の感覚で一緒に何かやっていこうという活動のことを参加型と言っています。
坂東:なるほど。
田原:僕はそれを共創エンジンと言っています。だけど現実はいろんなエンジンが外発エンジンで動いている。学ばさせられて、働かされて、お金を使わされて…と外発エンジンになっているのを、共創エンジンに乗せ替えていきましょう。というのが僕の活動。
それを教育でやれば、教育のエンジンを共創でしましょうとなる。
僕の枠組みの教育から始まって、組織に移って社会になっているので、出現する参加型社会というタイトルになっています。
坂東:エンジンを乗せ替えるという事なんですね。
武井:OS(オペレーティング・システム)の乗せ替え。
坂東:僕らも組織のOSという言い方をしているんですけど、乗せ替える方法があるんですか?
田原:それが僕なりの理解だと非暴力アナーキズム。言ってみれば管理するのは、支配と服従の関係じゃないですか、そうすると、自ら進んで服従するようなイデオロギーや文化が必要になってくるんですよ。それを今の教育やメディアが作っていて、なんか服従したくなるような痛みとか恐れを人間に埋め込んで服従しやすくなるような環境を作った上で管理していると僕は思っています。
だから、埋め込まれた痛みのところとか反応をアンラーニングしないと、ルールだけを変えても無理なんですよ。そのアンラーニングしていくのが非暴力。
非暴力化することによって共に創るが起こりやすくなってく。そこから仕組みを手放していくアナーキズムですね。手放すは僕の中ではアナーキズムなんですよ。同じ事を違う言葉で言っている3人がここに集まっている感じですね。
まずは教育から変える。反転授業とは?
坂東:おーかっこいい。そして今、反転授業という話が出たのでこれについても聞きたいです。
田原:反転授業が何かということも知らない方もいると思うんですけど、旧来の一斉講義は教室で先生が教えます。宿題を家に持ち帰って定着する勉強をします。教室で知識を獲得、自宅で定着。これが今までのやり方。
でもこれからって定着の方が重要なんじゃないかと思っています。腹落ちする定着を先生がいる場でやった方がいいんじゃないかと。知識なんかググれば出てくるし、動画でも見れるし、定着が重要だと思った時に自宅と教室の役割を反転させようというアイディアが出て来たんですね。
坂東:自宅と教室の役割を逆にしようと。
田原:簡単に言うと家で動画見てこいと。知識は自分で入れて、学校ではみんなでグループでディスカッションしたり、ワークしたり、プロジェクトをしましょうと。
先生の役割は動画を作ったりしてもいいんだけど、自分が作ってない動画を使ってもいいわけだから、学びの支援に先生の役割は変わってくると。
壇上の賢人からフォシリテーターへという感じです。
武井:そうなると「先生」ではないですね。
坂東:僕の子供が中学生なんですけど、まさにそれを実感してまして。中3の娘はスタディサプリという動画授業アプリで勉強しているんですけど、面白いと。これでいいみたいな感じになっているんですよ。学校で何をやっているのかと言うと、先日授業参観で行って来たんですけど、人権のテーマでやっていて、昔のエピソードを黒板に書いていて、そのあと教科書を先生がずっと読んで、午前中なのに生徒けっこう寝てるんですよね。寝ちゃう気持も分かるよなって。
だからそれは、そんなことは集まってやらなくてもいいってことですね。
田原:わざわざ学校で集まってるのに何でそんな事しないといけないの?と、意味のなさに気付いてきているんですよね。
坂東:前もって読んで来て、その内容についてディスカッションする時間が授業だということですよね。反転授業って。
田原:友達がいる意味がなければ集まっている意味がないし、友達が全然違う事を考えているという意見がめっちゃおもしろいわけなんですよ。この人なんか大人しそうに見えたけどこんな事考えているんだとか、隣から触発されてそれが実は学習の動機付けになっていく。その触発で渦が回る感じになる役割を教師がやるといる意味が出てくるんですよね。
フォアグラ型教育が危険な理由
坂東:反転授業とアンラーニングの話の中でフォアグラ型教育について聞かせてもらいたいんですが。
田原:フォアグラ型教育とは僕が生まれて初めて作った造語なんですが、フォアグラってガチョウやあひるに喉の奥にむりやりパイプを突っ込んで餌を食べさせてるんですよね。そうすると肝臓が肥大して脂肪肝ができる。その脂肪肝をフォアグラという料理で食べるんですけど、今の教育はフォアグラみたいだなと思っています。
どうしてかというと、意味のない事で競争させているんですよね。大学受験が必ずしも全てではない。学歴や就職が外発的動機になってみんなものすごいレースをするじゃないですか。ルールを守って、我慢して勉強する代わりに違うものが得られるよという世界で勉強している。
我慢し続けて、努力して勉強しているみんな偉いよって、社会や先生に褒められているみたいなことを考えた時に、僕の中でイメージが湧いた。フォアグラのガチョウに強制的に餌を食べさせているんだけど、我慢して餌を食べ続けられるガチョウは偉いぞとか言われ続けたら、ガチョウは食べたくなくても、だんだんと、そうだ我慢している自分は偉い!とガチョウが思い始めて、苦しいと思っていた自分に罪悪感を感じてくる。そんな仕組みをフォアグラ型教育と言っていて、周りの食べ続けられないやつにお前ダメだなってマウンティングしたり、ちゃんと食べろよとか言ったり、そんな事が起こる。それが社会的暴力における抑圧ですよね。
坂東:生産者からの社会的暴力?
田原:強制的に逃げ場がない中での無理やりそういう中にさらされると、それを自分で肯定して自らそこに従っちゃう。進んで従属しちゃうという仕組みですね。その仕組みがフォアグラ型教育でできてしまうと、管理が効くようになります。
だけど、管理を手放した時にうまく動かなくなってしまう。管理が効くような社会と教育がセットになっている。
坂東:僕の子供の中学生は段々フォアグラに見えてきた。これはまずいぞ…。
武井:ぼくらの子供はもうデジタルネイティブで情報に触れまくっているからおかしなことに気付いてますよね。
坂東:違和感を感じてるのかな。
武井:意味がないと分かってるけど、そういう仕組みだからとりあえず乗っかってるぐらいだと思いますよ。
ただ、真面目な子供ほどそれが苦しくなったりするんですよね。企業でうつ病になる人も基本的に真面目なんですよね。だから自分の感情を殺したり誤魔化しながら会社のためにとやると体が心に追いつかなくなって病気になったり、何かが起こるんですよね。
学校をサボる奴の方が、田原さんの言うところの暴力的な支配力を避けれるので。だけどみんながみんなそんなしなやかだったり適当だったりしない。
ちょっと重い話なんですけど、こういう暴力的な仕組みやエネルギーが人を殺してしまうと思っています。
日本って、10代20代の死因の第1位が自殺ですよ。これってこの社会構造がその人たちを殺してるわけで、その構造の欠陥がどこにあるのか分かってきているわけじゃないですか。
僕らの活動はそれ自体をどう置き換えればいいのかデザインがある。
やっぱり気付いたら、気付いた人がやるしかない。
本当に切ないですよね。ちょっと真面目な事言っちゃったー。
坂東:フォアグラ型教育っていわゆる詰め込み型教育ですよね。それに学生のうちは心も身体も拒否反応を出してるけど、みんなやってるから自分もしないとってやっていくうちに、これが正しいと思い込むようになると。思い込んでそれに慣れないとと思っていると、それが正しいと思えてきて、当初はそれに拒否反応を示していたのに、いつの間にか本人も生産者側になってしまう。
この構造から、同調圧力が出たり、ヒエラルキーが生まれるんですね。
田原:魂の植民地化プロセスと呼んでます。
坂東:すごい言葉使いますね。
武井:ワーディングがいいんっすよー。
田原:これは僕が作ったんじゃなくて、安冨歩さんと深尾葉子さんが魂の脱植民地化研究をやっていて、魂の植民地化というのは、他人の地平を生きるということ。フォアグラ生産者の人生をガチョウが生きるみたいなことですよね。ガチョウが自分の人生を取り戻すアンラーニングが魂の脱植民地化プロセスなんです。
坂東:すごい事じゃないですか!
田原:だから魂の脱植民地化とさっきの非暴力は同じ事だから、OSも同じだよね。でもそこをやらないと。ある意味ヒエラルキーが自己組織化してっちゃうわけですよ。
坂東:フォアグラ型教育の元では、ヒエラルキーが自動的にできていくって事ですね。
田原:ヒエラルキーになるように必然的に設定されているから。自動的にヒエラルキーになっていく。そこからヒエラルキーを崩そうとしても、ヒエラルキーが組み上がっている力が働いている。だから魂の脱植民地化であり非暴力であり、OS乗せ替えと一緒にやらないと、自律分散型にはならないんですよね。
自律分散型組織を自己組織化するには?
坂東:自己組織化というのはフラットとかティール的な組織だけじゃなく、ヒエラルキーも自己組織化するんですね。なるほど。これ結構大きなテーマですけど、アンラーニングして参加型組織にしていこうという話ですよね。自律分散型の組織が自己組織化していくようなエンジンにしようということなんですけど。それどうすればいいんだろう?
田原:人と自分の違いが反応のポイントになるんですよね。フォアグラ型教育って正解が1つで画一化するんです。1つの物差しの中で、よくできているかそうじゃないかをテストで比べる。そうすると違いは2種類しかないんですよね。正解か間違いか。序列の上か下か。
人は違いに対して怖いと感じるんですよね。違いに対する反応があるんですよ。
共に創る方は、人との違いを源にして共同してクリエーションを起こすわけですよね。人と自分の違いをどのように扱うのかが手がかりなんですよね。
坂東:なるほど。違いを学び合いの源にして共創していく。でも違ってることがやばいとか正解を見つけないと、とかそんな風に思いやすいけど、違っていいんだということをどのように伝えればいいんでしょう。
田原:違いが出た時に、「何でそう思うの?」と背景を聞けるかどうか。
坂東さんと僕が全然違う事を言った時に、一瞬僕は、「それ違うよね」って思うんですけど、だけど「坂東さん何でそう思ったの?」と聞くと、坂東さんの人生の物語が始まるわけですよ。
それを坂東劇場で聞く。田原劇場で、田原ナレーターで坂東さんの話を聞くと、そこはこうだろうって解釈が入るけど、坂東劇場の中で一緒に坂東劇場を聞くと、そんな人生送ってたんだったら、そんな風に思うよねって納得できる。
その違いを手がかりに自分の体験が追体験で広がり、世界が拡大していき、自分の方も聞いてもらうと、坂東さんの世界も拡大していく。両方の拡大した世界の中で違ってるものを、どうしていくのか?というコミュニケーションがとれるかどうかが肝だと思ってるんです。
坂東:なるほど。違ってると思った時に、それ違ってるよと思うのではなく、一歩踏み込んでみて、「何でそう思うの?」と踏み込んでストーリーが聞けると、納得感が違うんですね。
田原:その「何でそう思うの?」の聞き方が全てなんですよ。その聞き方がこいつ論破しようと思ってるなと思われたら、絶対喋ってくれないじゃないですか。そこに好奇心が全面に出ていて、本当に私の事を知りたいんだな、こいつ聞こうとしているな、と思ってもらえたら初めて本音で話し始めるんです。この「何でそう思うの?」のセリフの後ろに漂うものが何かでそのコミュニケーションが成立するかどうかの90%は決まるります。
武井:すばらしい。
坂東:僕ー…。
武井:坂東さん、何で反省しているんですか?笑。
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