「自分らしく輝く」ために、なにを手放せばいいの?」
著書「Be Yourself 自分らしく輝いて人生を変える教科書」を2020年12月に出版された
川原卓巳さんに手放すラボ所長の坂東が「手放す」をキーワードに根掘り葉掘りインタビューしちゃいました。
手放し続けて最後は○○になっちゃった・・・!というぶっちゃけ話も飛び出す展開に・・・
川原さんと所長坂東を引き合わせた仕掛け人、手放すラボ研究員のイッシーも参加して、楽しい!だけど本質をズバッと射抜くインタビューとなりました。
前・後編でお楽しみください♪
後編はこちら
川原 卓巳(Kawahara Takumi)
KonMari Media, Inc Founder and CEO/ Producer
1984年広島県生口島生まれ。大学卒業後、人材教育系の会社に入社し、のべ5000人以上のビジネスパーソンのキャリアコンサルティングや、企業向けのビジネス構築・人材戦略を行う。近藤麻理恵とは学生時代からの友人であり、2013年以降は公私共にパートナーとして、彼女のマネジメントとこんまりメソッドの世界展開のプロデュースを務める。2016年アメリカ移住後、シリコンバレーとハリウッドの両方に拠点を置きながら、KonMariのブランド構築とマーケティングを実施。日本のコンテンツの海外展開なども手がける。2019年に公開されたNetflixオリジナル TVシリーズ「Tidying Up with Maire Kondo」のエグゼクティブプロデューサーでもある。同番組はエミー賞2部門ノミネートされた。
「自分なんて」を手放す
坂東:著書「Be Yourself 自分らしく輝いて人生を変える教科書」の中に「仕事を手放す」「マストを手放す」「鎧を手放す」「他人を手放す」…「手放す」というワードがたくさん出てきますね。
川原:そうですね。僕がまず、お伝えしたいのは「自分なんて」という考え方を手放すのが大事ということなんです。
坂東:「自分なんて」を手放すの…むずかしそうですね。どうしたらいいんですか?
川原:「自分なんて君」はしょっちゅう出てきちゃうものです。出てきたときに気づいてあげるのがポイント。「あ、ちゃうちゃう、そうじゃない」って気づいては手放すってことを繰り返すんだと思います。いきなり「はい!いなくなった!」ではない。
坂東:川原さんは「自分なんて君」を手放せていますか?
川原:たまに出てきてるとは思うんですが、最近はあまり意識しなくなっていますね。
ポイントは、常に挑戦をし続けている状態でいることだと思います。そうすると「自分なんて君」に引っ張られなくなる。常に程よい負荷がかかってる状態を作り出すのが大事ですね。
坂東:まず、挑戦している時点で、「自分なんて君」をちょっと脇に置いてますよね。
川原:うーん、そこなんですよね、そこに至るまでが長いんだよなあ。
坂東:はじめの一歩。そのきっかけがあるといいんだなぁ。
川原:そう!そのきっかけは、自分以外に自分のことを心から100パーセント信じてくれる人との出会いだと思ってて、僕にとってはそれが麻理恵さんだったし、その前でいうと前職の上司だったりします。「あなたは大丈夫。100パーセントできる」って信じ切られたときに、「自分なんて君」ではない方が「え、ほんと!?」って出てくるんですよ。「そんな人に出会うところまで動き続けろ」が著書『Be Yourself』で言いたかったことです。
出会えると、あとは環境が変わって、「自分なんて君」と距離がどんどん離れていくんですよね。
セーフティーベースは人、そのもの
坂東:なるほど。それは結構大きいかもしれない。
小さい頃は、親がそういう存在だったりするじゃないですか。赤ちゃんって、セーフティーベースっていって、母親が見てる範囲では好きなことができる。暴れたり、どんどんいろんなことをやってみようとする。だけど、母親が見えなくなった途端、不安で泣き出す。それって、いまの話と通じると思うんですけど。赤ちゃんのときはそういう状態があったけれど、大人になっても必要なんですね。自分にとってのセーフティーベースになるような人との出会いが。
川原:一人でできる方もいるとは思うんですけど、大半の人って弱いし、不完全だし、怠惰にすぐ流れるし、ビビりだし。だからそんな弱い自分を受け入れて、そこからいい状態でいるための環境をつくるのが大事だと思うんですよね。
坂東:たしかにね。ちゃんと自分を知って、その上で誰かが寄り添ってくれれば、さらに自分を信じられるようになるんですよね。
そんな人に出会えるまで動き続けるということなんですね。
著書の中に、こんまりさんのメッセージが書いてあって、すごくいいなと思いました。「私の活動は卓巳さんの人生の前奏曲。それからは、あなたが輝く番だよ」と。めちゃめちゃいい言葉だなと思って。
川原:言葉だけ聞くとめちゃくちゃいい話なんですけど、ただ、前奏曲が長いし、でかいんですよ(笑)
バッハとベートーベンとモーツァルトが全力で弾き終わったあとに「どうぞ!」みたいな。この前説のあと、やりにくいな。
坂東:たしかにやりにくい。地獄でしかない、みたいなね(笑)
川原:そうそう(笑)。本人は100%悪気ないんですけど。
坂東:川原さんは、100パーセント自分を信じてくれる女性と出会えたじゃないですか。出会うまでは、動き続けるということなんですが、川原さんなりに、出会い方、動くコツはあるんですか?
動き続けること。「逃げる」の存在を忘れるな
川原:「動き続けろ」っていうと、「前に進む」イメージがあると思うんですけど、「逃げる」のも「動く」の1つ。自分の心に素直に、「あ、ここ違うな」と思ったら引くとか、「いま、ぜんぜんやる気出ないな」と思ったら「やめる」のも「動く」の一つなんですよね。
逃げて出会えたというエピソードで言うと、会社員で大阪に転勤した頃、当時の上司に100%受け入れてもらえたことがあったんです。
大阪転勤の前、東京での仕事に慣れてきて、手抜きも覚えて、遊んでたんですよ。それが会社に見つかって、大阪に飛ばされた。これが逃げたってことなんですが、転勤先の上司に、「あなたの本来の能力からすると、いま片手でやってるやろ?」って言われて、「おっしゃるとおりでございます」と。で、「それはなんで?」って言われた時に、会社内のいざこざに巻き込まれたくなくて「その人たちの邪魔にならない程度に、自分の領域だけで結果を出そう」って思ってた。「ここらへんでいいかな」と思ってる「自分なんて君」がいることに気付いたんですよ。
その時、上司が「わかった。全部あなたに委ねてあげるから、やりたいようにやってみ」と言われて。それで「自分なんて君」から解放されました。
そこから、マーケティングプランを考えて、セミナーを企画して、講師やって、日本中行きたいところ行きまくってセミナーをやったんですよ。そしたらめちゃくちゃ成果出て。
逃げることで100パーセント信じてくれる人と出会うケースもある。
一方、麻理恵さんとの出会いは逆。前に進み続けて、楽しんで仕事をしてる先に彼女との出会いがあった。だから、どっちもありだと思ってます。
坂東:なるほどねえ。誰しも出会ってるんですかね。
出会ったことに気づいて、つかまえるというか、受け入れるのが川原さんはすごく上手なのかもしれないですね。
川原:「わっ、信じてもらってる!」っていって、勝手に喜んでるっていう。バカなんですよ。(笑)でも、そういうとこ、大事な気がするんですよ。変に斜に構えて受け入れないよりは、ちょっとバカになるぐらいがちょうどいい。
鎧の厚さはどのくらい?鎧の手放し方
坂東:「鎧を手放す」っていうところとつながる気がするんですが、たしかに女性からアドバイスされたときに、「いや、でも俺、男だし」っていう鎧があったり。
川原:プライド的なね。
坂東:年下から言われても「まあ聞いとくよ」っていうような、「年上」という鎧を着てたりとか、鎧を着てたら、いろんな言葉を素直に受け入れられないかもしれない。鎧を脱ぐのむずかしいですね。
川原:むずかしいですね。それでいうと、僕、日頃から結構“薄着”な人だったんで、それはよかったのかもしれないですね。
坂東:古くからの知り合いであるイッシーは、川原さん、どんな印象だった?
石野:開けっ広げっていう感じですね。
坂東:オープンな人だからいろいろ言いやすいのかな。
川原:そうそう。基本怒ることもほとんどないし、なに言われても笑ってて、わかってるのか、わかってないのかって感じだし(笑)
石野:ただ出会った21,2歳の頃より、今は自分の中にある弱さも含めて、そのまんま表に出るようになった気はする。20歳そこそこの頃って、基本どれだけイケてるのかをマンティングし合うのが男だったりするじゃないですか。
川原:わかるわかる。それは年齢もあるけど、今はマウンティングする必要がなくなったというのはある。弱さも含めて自分であり、できないところも含めて「助けていただくための魅力だ」って昇華した感はあるよね。なんか、完璧なやつ嫌いなんだよね、やっぱり(笑)
坂東:オープンになりたいけど、「鎧を手放す」のが苦手な人が心がけられることはありますか?
川原:なるべく脱ぎやすい人の前から順に、脱げるとこだけ脱いでいくってことかな。
「こいつの前ではジャケットまで脱いでいいな」「こいつの前では、靴下はいてるよりは素足のほうが心地いいな」みたいな。
ちょっとずつ脱げる人を見つけとけば、最後はスッポンポンだった、っていう感じだと思います。
坂東:その感覚、大事ですね。「自分はいま、どれくらい着込んでるんだろう」っていうことがわかるだけで変わる。僕、もともと着込むタイプだったんですよ。かっこつけっていうか。だけど、「着込んでる」ことすら気づいてなかったです。だから、「もっとオープンに」とか言われても、そもそもなんのことかわからないっていう。
オープンさも演じてるぐらい。
川原:「裸Tシャツ着てる」感じですよね。(笑)
坂東:「本当はどうなんだろうな」という感覚を持つのはすごくいいなと思いました。それも「自分を知る」っていうことですね。ただ、自分を知るのが怖かったりしますね。
「本当は俺、めっちゃ着込んでるんじゃねーのかな」とか、「自分なんて君がいるんだ」みたいなことも知りたくない。自分と素っ裸で向き合うのが怖い。そういう意味じゃ、身の回りをシンプルにする片付けともつながると思うんですけど、Netflixの番組を見ていても、シンプルに整うことでなにかが劇的に変わるじゃないですか、感性が研ぎ澄まされるというか。ごちゃごちゃしてたら本当わかんなくなっちゃいますよね、自分のことも。
川原:なりますね。物理的な片付けがいちばんわかりやすいとは思うんですけど、こと経営の観点だと、やらなきゃいけないこと、タスク、連絡を返さなきゃいけないもの、決めなきゃいけないもの、ごちゃごちゃするじゃないですか。
坂東:うん。
川原:ごちゃごちゃしてることに慣れちゃうと、あれもこれもしなきゃいけないって勝手に思っちゃうんですよね。
坂東:マストですね。マストばっかり。他の経営者もみんなそうしてるように見えるから。
川原:経営についてオープンにしゃべっるって、むずかしいんですよね。
坂東:むずかしい。悩みも言いづらいし。表面的には言うけど。
川原:「差し出せる汚い部分だけ出せるように用意した」みたいな。
坂東:そうそう(笑)。ちゃんと汚い話のための引き出しがあるっていう。
坂東:「経営者」っていう肩書きそのものが結構な鎧になりますね。
川原:そう思います。
「社長だから、ちゃんとした人であらねばならぬ」「全責任を負っている人間だから、弱みは見せられない」みたいな。あれ、全部うそ、全部うそ(笑)
坂東:嘘!(笑)どこかで気づいたんですか?
川原:僕の場合は、早々に「できないことがたくさんある」という状況にぶつかりました。2013年に会社を始めて、2014年にアメリカに行くことになって。2015年にはアメリカで会社をつくってるんですけど、その時点で英語もできないし、経営者としても未熟なのに、挑戦してるフィールドがでかすぎて、早々に「助けて」って言わないと死ぬ状態だったんですよ。
坂東:なるほど(笑)。もう物理的にね。
川原:なので、東大を首席で出て、当時、会社をつくって売ってを3回繰り返してた天才がいるんですけど、彼に共同創業者になってもらいました。「実はこういうプランがあって、やりたいんだ」って言って、助けてもらった。その彼に、「助けてくれて、ありがとう。でも、もっと仕事来るから、他にも誰かいないか?」って相談して。またもうひとり、将棋で日本一を7回やってる天才を連れてきてもらって、また助けてもらった。
そんなわけで、「助けていただいて感謝」というところからスタートしたので、かっこつけとかゼロなんですよ。
坂東:なるほど。挑戦が大きすぎただけに?
川原:そうそう。だって無理だもん(笑)。早めに「だって無理だもん」って言えたのは、僕にとってラッキーだったと思います。
坂東:同じ状況でも「自分でやんなきゃ」って壊れちゃう人いそうですね、パンクしちゃって。川原さんがヘルプを出せて、しかも、そういう人に応援してもらえたっていうのは、すてきですね。やりたいことが本質的だったり、本当に価値があることだったということはあるんでしょうね。
川原:それはそうだと思う。僕は、大きいことを考えて伝えることがやめれない生き物。「いい地球の未来をつくりたい」というのは、ずっと変わってなくて。
学生のときから言ってるのは「いい地球の未来を残したい。そのために一人一人が自分の能力が活きてる状態になってほしい、人生を楽しんでほしい。そのためにできることってなんだろう」ということ。
そう考えていたときに麻理恵さんとの縁があった。「ああ、これを広めていくことが、いちばん僕にできることだな」って、スイッチが入った。
「じゃあ、まず、これに命かけてみよう」っていうのが2012年。そこからいま9年やってきて、一応、世界一知られているところまで来たのが僕のこれまでの人生。
まりえさんからも「前奏曲」って言って貰ってるように、ここからは自分の出番。僕がここまで経験したことや見てきたもの、いま持っている人の縁は、日本人の中だと抜群に世界につながっているので、これらを総動員して、次の日本一が世界一になり得るものをプロデュースすることに使いたい。
世界における日本の存在感や価値をもっと広げることとが、今やりたいことなんです。