先日、 海外でUBER(※)に乗る機会がありました。
UBER初体験の知人と一緒だったのですが
「知らない人の車に乗せてもらうなんて、大丈夫?」
と不安がっていました。
実際には、ダンディーな男性ドライバーが愛想が良く対応してくれ、「スゴくいいねえ!」と驚いていました。
見知らぬ一般人の車に乗せてもらう、いわゆる“白タク”なのに、なぜ問題なく利用できるのか?
(バンコクに住む友人は「タクシーより安全だから女性はみなUBERを使う」と言います)
採用が上手だから?
あるいは、上司の人材教育や管理がすごくしっかりしているから?
管理がいらない仕組み
いえ、UBERには、ドライバーの行動を管理するいわゆる“上司”は、ほとんどいないはずです。
なぜなら、情報をオープンにすることによって、上司による管理が必要ない仕組みができているからです。
利用した人はお分かりだと思いますが、アプリ上ではドライバーのプロフィールや、過去に利用した乗客の評価が、公開されています。
乗客は、利用する際にその評価を確認して、どのドライバーを選ぶのかを選択できます。
ドライバーは上司に管理されずとも、車内を清潔に保ち、マナーを守って運転します。
でなければ、選ばれなくなるからです。
乗客側も同じです。
ドライバーからの評価をつけられるので、失礼な言動をしたら、評価が下がり、乗せてくれなくなります。
サービスを利用し続けたかったら、いい客でいなければならないのです。
サービスを提供する側と、受ける側が、お互いに評価をし合う。
それを誰もが見える環境をつくることによって、
会社が管理コストを必要以上に増やさずとも、適切なサービス環境を維持することができるのです。
(ちなみに食べログは、店の評価がつけられる点では似ていますが、店からお客様の評価はできない点が異なります。
もし客の評価ができるようになれば、店での客の態度は劇的に良くなり、ドタキャンも減るのでは笑)
管理職が部下のパフォーマンスを下げている
これを会社組織にあてはめてみると、どうでしょうか?
上司の仕事は、部下を管理すること。評価すること。
自分の仕事を、そのように定義している“管理職”は多いでしょう。
しかしこの“管理職”のスタンスは、二つの点で部下のパフォーマンスを下げているのです。
ひとつには、部下は“評価する人を向いて仕事をするから”です。
ですから、部下は評価者である上司の顔色を伺うようになります。
仕事をする目的が「上司からいい評価を得るため」とすりかわりやすい。
イノベーションにつながるような画期的なアイデアを部下が思いついたとしても、「評価が下がるかも…」という不安から、言い出しづらくなるでしょう。
もうひとつには、上司から「管理しないと君(部下)は仕事ができないよね」「サボるといけないから、管理するよ」という無言のメッセージを発信してしまっていることです。
極端に言えば、「君のことは信用していないよ」というメッセージです。
自分を信じてくれてない上司(会社)のために、パフォーマンスを上げようと思うでしょうか?
人は「管理していないとサボる」のではない。
“死角”があるから、サボりたくなるのです。
たとえば、大通りのど真ん中で立ちションする人はいません。
死角があるから、したくなるのです。
性善説?性悪説?
こうした話題になると「マネジメントを、性善説で考えるのか?性悪説で考えるのか?」
という議論によくなりますが…
私は、どちらでもないと思います。
人はみな、善人と悪人の両面を持っているものです。
それが状況に応じて、善い面が出たり、悪い面が出たりする、ということだと思うのです。
ですから、人の悪い面が出にくく、善い言動を引き出すような組織づくりを環境から整えることが、重要なのです。
その大きなポイントが“情報の透明化”です。
日々の仕事内容や、成果をオープンにし、日常的に同僚間で見えたり、フィードバックし合える組織づくりをする。
そうすれば、上司の管理や評価にかける労力は激減します。
部下も本業に時間が割けるようになり、上司の目を気にする必要もなくなり、同僚とより良いチームワークをつくりやすくなる。
すると自然とパフォーマンスは高まります。
昔に比べて、今はITの進歩により、情報をオープンにすることが劇的に実行しやすくなりました。
それに伴って、組織づくりの中で上司の仕事も変化を迫られているのです。
まとめ
管理する仕事がなくなったら、上司は要らなくなる?
そうではない。
部下のパフォーマンスを最大化する組織づくり。サービスの改善。変化に対する迅速な打ち手。
本来のリーダーがやるべき仕事に注力できるようになるのだ。
いま、“上司のアップデート”が求められている。
※一般人の車に乗せてもらう、カーシェアのサービス