AFRIKA ROSE新旧代表と語る Well-beingな代表交代の進め方
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新代表田中さんがアフリカローズにジョインしたきっかけ
坂東:ヒデさんはいつからアフリカローズにジョインされたんですか?
田中:法人設立は2013年だったんですが、法人設立直後に初めて愛さん(萩生田)と出会って、そこからお手伝いみたいなところで関わりだしたのがきっかけです。
萩生田:当時ヒデ君(田中)はフランスにお花を学びに行って帰ってきたところで、フラワーデザイナーとして独立してましたね。
武井:NHKで、お花の講師やってるぐらいですよ。
坂東:創業当初は全部、恵さんが成田まで行ってバラを持って帰ってきて水揚げするまで1人でやってたんですか。
萩生田:そうなんです。はい。3年ぐらいはずっと1人ですね。
坂東:ヒデさんは、やっぱり花が好きだったんですか?
田中:元々は興味がなかったんですけど、花を習い始めて人にプレゼントするようになって、花ってすごく人を喜ばせるものだし、その人の心を豊かにすると思って興味が湧いてきた感じですね。
そういう意味で愛さんに共感するところがあって、それでなんかいいなと思って、手伝わてっていうところが始まりですね。
武井:ヒデさんのセンスがすごい良くて。アフリカローズのラッピングとか、花をどう引き立てるかっていうセンスが本当素晴らしい。
田中:自分で作ったものを誰かにあげてすごく喜んでもらえたっていうのがあって、そっから何かそういうことが仕事としてできたら素晴らしいことだと思うし、それはずっとやっていきたいことかなって思ったんですよね。
坂東:お手伝いから本格的に一緒にやろうってことに?
田中:ちょうど広尾店がオープンするタイミングで、経営に参加しました。
出産を機に価値観が変化。度重なる危機で2人の関係は最悪な状態に。
坂東:武井さんが経営にジョインした頃は、どんな感じだったんですか?
萩生田:精神的につらかった時期ですね。2018年の1月に第一子を出産をしたんです。広尾店のオープンが2015年。六本木店は出産の翌年、2019年のオープンなんですけど、その六本木店のオープンが決まる前に出産しました。
本当は産休で1年とは言わないですが、3ヶ月ぐらいは休めるかなってちょっと期待していた部分もあったんですが、本当に1ヶ月半ぐらい?いやもっと3週間?ぐらいで復帰することになって・・・
田中:本当はもうちょっと休んでもらいたかったんだけど、社員の子の家族の具合が悪くなって、長期で実家に帰らなきゃいけないという緊急事態が発生したりして。
「ゆっくり休んで大丈夫だよ」って言ってあげたかったですが、そこまで言えるような状況でもなかったんです・・・。
萩生田:よく頑張ってくれてるっていうのを知ってはいたんですが、ヒデ君に「戻った方がいい?」って電話したら、いつもなら「いや大丈夫だよ」って即答する人なんですよ。
でも、その時は言わなかった。シーンって。
これはもう戻るしかないんだなと思って「復帰します。」って言ったんです。
だけど、やっぱり赤ちゃんと一緒に過ごしたかったって言う思いはあって・・・。
自分が生み出した子供のような、一番大好きな存在がこのアフリカローズだったのに、我が子が生まれたら自分の命よりも大切なものがあるんだって思って。
赤ちゃんと一緒にいたいのにお店に行かなきゃいけない。
ホルモンが乱れて情緒も不安定だし、産後鬱手前みたいな感じになっちゃって。
今まで寝る時間以外は、アフリカローズでお客さんやスタッフと会話してすごい楽しかったんだけど、それができなくなっちゃった。
どうやってバランスを取って良いのかわかんなくなっちゃったんですよ。
今までのミーティングはいつもお茶しながらざっくばらんに話してたんですが、「ミーティングは30分ね、これとこれを決めて帰ります。」ってなった・・・
坂東:そうしたくはないけど。
萩生田:もうイライラしちゃって。そんな自分も嫌だったし、それでスタッフとの関係性がどんどん崩れていって、最悪な状態。
武井:俺が呼ばれてそれぞれと話したときに、お互いに死ねばいいのにぐらいな。(笑)
どうしようもないものが重なって、緊張関係がすごく高まってた状態でした。
萩生田:今はヒデくんとも愛情を持って関わることができてるんだけど、当時はこっちは産後で身を削ってきてるのに、何やってたんですかあなた!みたいな感じ。
それで怒り爆発しちゃったんです。
ヒデくんもいろいろ大変なこともあったし、感謝の気持ちはあるんだけど、その時の私の怒りたるや、もう本当すごかったですね。
武井さんに毎晩電話して、「聞いてください。もう許せないです」って。
武井:電話越しでよく泣いてましたね。
萩生田:そんなことがあって、このままヒデくんに辞めてもらうのか、私が辞めるのか、アフリカローズをクローズするのか、でもやっぱり元の仲の良い状態に戻りたいし、やっぱり幸せを与えるためにやってるのに、本人達がいがみ合ってるのはよくないって。
私の精神的な成長も必要だったし、信頼関係を戻したかったし、自分たち創業者が引っ張る時代を終えて、ここに集うみんな1人1人が輝くような組織にしたいって思ったんです。
その時に武井さんを発見したから抜本的な改革を行いました。
強い経営者が導く経営スタイルを辞め抜本的な改革へ着手
坂東:抜本的に何をしたの?
武井:真面目な経営の話で言うと、花ってそもそもあんまり儲からないんですよ。業態として。店舗も六本木ヒルズにも出しちゃったり、恵さんの産休とかいろんなのが重なって、仕組み作りが追いついてなかったんですよ。
それで、最初に僕がやったのが、管理会計。
DXOで、管理会計の仕組み整えて、そこの情報を見えるようにした。
そこからコストカットして、コストをできるだけ下げてどうやって売り上げを上げられるかっていう合理的なことに取り組みました。
そういうところをやって、1年目はV字回復できました。
またDXOのエンスエッセンスに入りますけど、やっぱり創業メンバー2人というのがあまり良くない。
2人だとやっぱりぶつかっちゃうんですよね。
これはDXOで言ってるチームは3人以上で作れの法則。
意見が食い違ったときに、対立構造になる。
そうなると相手のせいにしたくなっちゃう気持ちが出ちゃうし、自分はこんなに頑張ってるのにって思っちゃう。
だから僕が入って3人になってちょうどよくなったんだよね。
それで緊張関係がだんだん緩んできた。
田中:管理会計の話はもちろん、大事だったんだけど、考え方が印象に残ってます。
改めて振り返りをしながら、今後どうすればいいのかなってところを気づかせてくれました。
萩生田:まず情報をオープンにしました。
武井:会計情報をスタッフさんにもオープンにしてみんなで話し合う。
坂東:今まではそうじゃなかった?
萩生田:かなりクローズドでした。ほとんど2人で決めたことをみんなと共有するだけでした。
武井:苦労を2人で背負い込んでたんですよね。
みんなでちょっとずつ負担して全員で頑張ろうよっていうふうにちょっとずつ変えていきました。
坂東:ティール的な組織に抜本的に変えて変えていくっていう時に、情報公開とか、今までやってないことをやるから、悩んだりストレス溜まったりしたと思うんですよ。
そこら辺で葛藤はありましたか?
萩生田:広尾店ができたときから、できる限り私が決めるんじゃなくて、みんなで考えてみんなでやろうって、自分としてはやってきたつもりなんですよ。
自分ではそうやってたつもりにだったんだけど、でもいざ自分が出産で抜けたら回らなかった。
その現実が見えてしまって、全然できてなかったじゃん、私抜けて回ってないじゃんって、すごくショックを受けました。
これはもう専門家に入ってもらう必要があると思ってたところに武井さんに入っていただけて。
やっぱりセオリーがあるじゃないですか。
情報公開や管理会計をロジカルに説明してもらって、納得しました。
ヒデくんをこんなに信頼してたのに、なんでこんないがみ合っちゃったんだろうっていうのも、2人だから駄目だったんだ。3人になればよかったんだ。とか。
私はヒデくんのことが嫌いになったわけじゃなかったんだっていう精神的な解放もあったり。
なぜうまくいってなかったのかっていうことが一つひとつわかっただけで感謝感激ですね。
武井:だから人に原因はないんですよ
坂東:本当ね。2人っていう構造に問題があったっていうことですね。問題を生み出すのは構造ですから。
武井:いろんなものがかみ合わないっていうこと自体はやっぱり解決しないといけないんで、人を変えるんじゃなくて、仕組みを変えるとか、環境を変えると、1人1人の愛が、もっとストレートに表現できると思うんですよね。
坂東:なるほどね。
萩生田:私自身の考え方も変わりましたね。何か問題があったときに、その人を罰するんじゃなくて、この仕組み、構造が原因なんだって考えられるようになった。
人が原因じゃないっていうことはすごい私に影響していて、今起きている問題の原因は構造なんだなと、じゃあどういうふうに仕組みを変えれば?って考えられるようにお陰様でなりました。
③に続く