今回のインタビューは、64か月連続赤字の会社を黒字化した、『組織のバリフラット化』『情報のオープン化』とは(前編)の後編。制度を変えるだけじゃなく、カルチャーを変えることで本質的な組織変革を実現した株式会社ISAO。そのカルチャーの原点に迫ります!
赤字を出し続ける企業体質は、創業時からずっとだった!?
坂東:中村さんは、もともと株式会社ISAOにいたわけじゃないですよね?
中村さん:そうですね。ISAOはもともとCSKの子会社として設立され、2010年に豊田通商に買収されました。私は豊田通商の社員としてドイツにいました。それが、派遣出向で社長として「ISAOに行け」ということになったんですね。
坂東:62か月連続赤字だったという記事を目にしたんですが…。
中村さん:はい。私が社長を引き継いでからも2年ほどは赤字が続いたので、社長就任したころは赤字を出し続けて40か月目くらいでしたね。
坂東:そういう状況だから、買収されることになったんでしょうか。
中村さん:それもありますが、ISAOって実は創業時からほぼ毎年赤字だったんですよ。
坂東:え!そうなんですか?
中村さん:元はCSKの戦略子会社として事業開発や技術開発をおこなう先鋭部隊だったんです。なので社員たちは利益を出すより、新しいチャレンジをして、将来の事業の種をつくろうというマインドで仕事をしていました。ところが、2007年ごろCSKの業績が悪化しISAOを支援できなくなってしまった。以降は自分たちの事業と資金だけで運営する必要に迫られたんですが、ずっと親会社に頼った経営をしていたので、自分たちではどうにもできなかったんですよね。
多すぎる階層や情報格差が、非効率の温床になっていた。
坂東:そんな大変な状況で社長を引き継がれたんですね。現在のISAOの組織体制であるバリフラットモデルの構想は最初からあったんですか?
中村さん:いいえ、全然そういうわけではなくて。ただ、階層が多くて非効率だというのはすぐ分かりました。当時従業員は170人くらいでしたが、その規模にしては肩書を持つ人が多すぎて、何をするにも遅かった。それをどんどんフラットにしていこうという思いはありました。
坂東:なるほど。
中村さん:例えば「営業で何か新しい取り組みをしましょう」となったときに、営業のチームリーダーがいて、グループ長がいて、その上に部長がいて、それを見ている取締役がいる。「で、誰が決めるの?」という状況だったんです。それがはっきりしないから決定に時間がかかる。あと、仕事がダブっている人がすごく多かったですね。
坂東:それは無駄ですね。
中村さん:明らかに無駄なんです。だから階層を減らす取り組みを始めました。あともう一つ無駄だと思ったのは内向きな仕事。
坂東:内向き、ですか?
中村さん:もちろん最低限の根回しとか、交通費精算みたいな仕事はゼロにはならないんですが、社内向けの仕事と外向けの仕事の割合をしっかり考えようよ、と。社内調整ばっかりしていても仕事は進まない。外向けの仕事が9なら内向きの仕事は1割くらいでちょうどいい。
坂東:なるほど。
中村さん:「まずはこの人に伝えて、それからあのマネージャーに伝えて、そうしたらあの人にも言っておかなきゃ」とか本当に無駄。一気に全員に伝えればいいんです。そこで取り組んだのが『情報のオープン化』。誰かに伝えたことを一気にオープンにすれば、それ以上の時間はかからない。
坂東:確かにそうですね。
中村さん:もう一つ、階層が多い組織内で情報をクローズにしていると 『伝言ゲーム』がおきます。伝言ゲームって3人通過するとけっこう内容変わるじゃないですか?
坂東:そうですね。全然変わります。
中村さん:おまけに承認プロセスが長いと、どれだけ良い企画もその過程でどんどん角が取れて丸くなっちゃう。
坂東:ああ、なるほど。確かによく言われますよね。承認者全員の意見を聞いてしまうと、超つまらないものになる。
中村さん:だから階層が多い組織で情報を囲っていても良いことないんです。無駄とマイナスしかない。だから、階層を減らすことと情報のオープン化を、同時にスタートさせました。
坂東:でも、情報のオープン化って普通の会社にとっては相当ハードル高いですよね。
中村さん:いいえ、実は情報のオープン化って結構簡単なんですよ。
坂東:え?!
経営トップが情報を手放せば、情報格差という権力保持構造は即無力化する。
坂東:情報のオープン化は多くの会社が躊躇するポイントですが、そんなに簡単ですか?
中村さん:簡単ですよ。だって、やろうと思ったときにできない理由って何ですか?
坂東:できない理由は……、確かにないですね。
中村さん:ないんです。つまり物理的に、トップがやろうと思ったらすぐにできちゃう。
坂東:ただ、管理職や役職者は、部下が持っていない情報へのアクセス権を持っていますよね。それが権力の象徴になっている。それを手放す心理的ハードルは高いんじゃないですか?
中村さん:そりゃそうです。でも、一番重要でクリティカルな情報を持っているのは、社長である僕。それをバーンとオープンにすれば、情報格差という権力保持構造は無力化できるんですよ。
坂東:なるほど。その情報のオープン化は、どういうかたちでされたんですか?
中村さん:
社内SNSを使いましたね。これがないと難しかったと思います。経営のことや組織のことなど、重要だと思うことは間に人を介さず何でもどんどん発信する。月次の決算資料もフルオープンにしていました。
坂東:そういうツールが無いと難しいんですね。メールじゃダメなんですか?
中村さん:メールだと受け止める側にとって重すぎるんです。SNSのように流し読みできるメディアで、軽いノリでどんどん発信していく。内容的に軽くないものも多かったですが(笑)
坂東:評価など人事的な情報もそこでオープンにしたんですか?
中村さん:人事評価については、段階を経てオープンにしていこうと考えていました。
坂東:そこは慎重なんですね。
中村さん:なぜなら、そのタイミングでオープンにしてもまったく意味がないですから。
新人事制度により、数百万単位で給与が上下する衝撃。
坂東:意味がないとはどういうことでしょうか?
中村さん:人事評価については、一人ひとりが個別で契約して入社していたので、給料で並べたときに本当にグチャグチャだったんですよ。明らかに給与が高すぎる人もいれば、不当に低い人もいた。
坂東:なるほど。
中村さん: これをそのままオープンにしたら当然「なんで?」ってなる。「なんであの人がこの評価なんですか?」と。それに対して僕がきちんと答えられない。僕も「なんで?」って思ったくらいなので(笑)
坂東:それだと、ただ不信感が募ってしまいますね。
中村さん:だから、人事評価に関しては徐々に整備していきました。上げるべき人は上げる。下げるべき人は下げる。正しく給料のバランスをとってから情報をオープンにしようと。
坂東:どのくらいの期間がかかったんでしょう?
中村さん:僕がISAOに来たのが2010年の6月で、2011年の4月に等級制度を作り、そこに一人ひとり当てはめていきました。人事主導でものすごく痛みを伴う“ガラガラポン”をやったんですよ。
坂東:かなりのインパクトがあったんじゃないですか?
中村さん:これが、多分ISAO史上最大の衝撃だったと思いますよ。
坂東:そ、そうなんですね!
中村さん:だって、給料が200万くらい上がる人もいれば、逆に300万近く下がる人もいる。全体の平均は少しだけ上がったんですけど。
坂東:でも、すぐにではないですよね?移行期間はあったんですか?
中村さん:いちおう2年の移行期間を設けました。ただ、等級はそこで確定して伝えています。「あなたの価値はこのレベルですよ」「2年後には給与もその等級に対応させますよ」と。ただ、このタイミングでもまだ給与や評価についてはオープンにしていないんです。
坂東:あ、そうなんですね。
中村さん:なぜなら、この等級構成で正しいという確信が僕にもまだ持てなかったですから。
制度だけ変えても意味がない。カルチャーが変わらなければ。
中村さん:2年~3年ほどかけて、制度を修正していく必要があると考えたんです。低い評価を得た人も、自分に足りないものに気づいてまともに働けば、給与は上がっていきますし。後、当時「内向きの仕事は評価しないぞ」というカルチャーに変えていく過程だったので、2011年に高い等級に置かれた人も、内向きの仕事ばかりしてると段々下げ圧力が出てくるわけです。
坂東:はいはい、なるほど。
中村さん:会社のカルチャーが変わると、会社にとってどんな人が価値あるのか、という等級制度も変わりますから。僕がISAOに来た2010年~2015年って、会社の文化がものすごく変わっていく過渡期だったので、なかなかオープンにできなかったんですよね。
坂東:なるほど。とても慎重に進めていったんですね。
中村さん:給与情報の公開はすごく慎重にやっています。まあ、2011年時の人事評価の“ガラガラポン”は慎重もクソもなかったですけど(笑)
坂東:ハッハッハ(笑)
中村さん:等級制度を変えて、なんとなく給料のバランスが整ってきたのが2013年ごろ。ただ、最終的に給与情報をオープンにしたのは2016年。割と最近のことですね。
坂東:なるほど。そうだったんですね。今のISAOさんは、『バリフラットモデル』とか会社のミッション・ビジョン・スピリッツとか、強くて熱い言葉があって、それを見ていると、ものすごい勢いで会社がドーン!と変わったように見えてしまうんですよね。
中村さん:あ~、なるほど。
坂東:なので、そういう事例を見て「うちの会社も変えたい!」って思ったときに、「よし、フラットにしよう」「オープンにしよう」と、カタチだけマネしてもダメなんですね。
中村さん:そうですね。うちは制度を整え、カルチャーを変え、それに合わせて制度も修正を重ねながら何年もかけて組織を変えていきました。ただ、方向性だけは最初から一貫していて。徹底的にフラットにする。徹底的にオープンする。そこを突き詰めるというのは最初から一貫してゴールとして置いていました。