『ティール組織』とgoogleで検索したところ、たまたま出てきた謎の飲食店、「ティール組織の肉汁水餃子専門店 餃包」。(※「ティール組織」の解説はこちら)
お店に食べに行ったところ、料理は美味しいし接客はフレンドリーで気持ちがいい。店内には随所に“マイグラス制度”(ジョッキ使い回しで良ければ百円引き)や“シークレット席”(お客さんが配膳を手伝えばお通し代が無料になるカウンター席)など、オペレーションを工夫する仕掛けが。Webサイトを見ると、人材育成に力を入れていることが良くわかる。ティール組織で飲食店を経営する社長はいったいどんな人?なぜティール経営に至ったの?
飲食業界で実践されている株式会社アールキューブ 代表取締役 坂田 健さんにインタビューを敢行しました!
会社設立後、最初の仕事はリストラでした。
坂東:今日はよろしくお願いします。
坂田さん:はい、よろしくお願いします。
坂東:飲食という業態に、ティールを取り入れた経緯や効果等について伺いたいんですが、読み手にとっては失敗談の方が面白いかもしれません(笑)
坂田さん:なるほど(笑) 本当に最初から話をすると、実は僕の父がもともと経営者だったんですよ。ラーメンチェーンやいろんな飲食店を50店舗くらい経営していて。それがあるとき、急に上海に移住すると言ってお店をほとんど第三者に売却しちゃった。一つだけ、毎月300万円ほど赤字を出していたハンバーガーショップが残り、「そのお店を立て直せ」というミッションが父から僕と弟に与えられたわけです。それで25歳のときにこの会社を設立しました。
坂東:いきなり重たいミッションですね。
坂田さん:重たかったですね~。放っておけば3、4カ月で潰れるような店ですから、僕の最初の仕事はリストラでした。「本当にすみません。給料払えないので辞めてください」と。
坂東:それは、きつい……。
坂田さん:そこから先はもう記憶がないくらい毎日がむしゃらに働きました。お客さんの目線でうちのお店はどう見えているのか考えて、検証して、お店を作り直して。そうしたら運良く半年ほどで業績がV字回復したんです。売上は倍になり、一応存続できるくらいにはなった。でもまあ、従業員との関係は最悪なわけですよ。リストラ社長ですから、まったく信頼されていない。
坂東:それに若いですしね。
坂田さん:そうそう。そんな中で去って行ったメンバーもたくさんいる。でも、余計なこと考える暇が無いくらい必死だったので、なんとか走り抜けることができました。金融機関とのバトルとか、父の債権者との裁判とか、実家や不動産は競売で失いましたし、店長の横領事件や失踪事件が起きるとか、タイにFC出店したら政治不安で暴動に巻きこまれてビルごと燃やされるとか。このときの数年で、50年分くらいの経験ができた感覚はあります。あと、人は簡単には死なないんだなって思いましたね(笑)悩むのは暇な証拠で、悩む暇すらなかったのが良かったですね。天と両親に感謝です。
坂東:な、なるほど。
坂田さん:そこから少しずつ店舗展開もできるようになって、プランタン銀座やパーキングエリアとか羽田空港国際線に出店したり、タイとシンガポールにも店を出しました。順調に伸びてはいたんですが、同時に大きな問題も抱えていて。
坂東:問題とは?
坂田さん:僕自身がそのお店を愛してなかったんです。
坂東:えっ!
『絶対やりません』を、やりたくなっちゃった。
坂田さん:元々は父が起こした事業なので、自分の事業だという気持ちが持てなかった。何より、コンセプトが『女性向けのヘルシーハンバーガーカフェ』。自分自身食べたいと思えなかったんです。限界を感じたのは東日本大震災の後しばらく経ってから。景気は回復しているのに、どれだけ頑張っても業績が元に戻らない。ビジネスモデルや戦略云々じゃなく、この商売を愛していないからだな、と。「だからうまくいかないんだよ」と神様に突き付けられた気持ちでした。
坂東:なるほど・・・。
坂田さん:自分を見つめ直して、この事業は撤退しようと決めた。で、次に何をするか。僕はもともと中華がやりたかったんです。母は熊本生まれなんですが、父は台湾人なのでそのルーツを活かそう、と。ラーメンはレッドオーシャンだし面白くない。でも、普通の餃子じゃなく、ちょっと特殊な餃子を出す餃子専門店なら面白いんじゃないか、ということで業態が決まりました。ただそこから、店舗をリニューアルするのがもう本当に大変だった。一つは資金の問題。そしてもう一つ大きな壁になったのが、大家さん。
坂東:大家さん?
坂田さん:大反対されたんですよ。元々、カフェ風の内装で軽飲食を出すお店ならOKという条件で借りていたので。父の時代から「おたくはラーメンチェーンもやっているみたいだけどそういうのは絶対ダメだよ」と言われていた。僕も「絶対やりませんよ~」なんて言っていて。
坂東さん:でもそれをやりたくなっちゃった、と(笑)
坂田さん;そうなんです。そこで、あるとき思い切って大家さんに、ハンバーガー屋まで来てもらって、試作の焼き餃子を出しました。「何これ?」「まあ、いいから食べてください」と。それから、決死のプレゼンです。「この餃子を出すお店に変えたいんです。どうしてもダメなら会社は畳みます。もしOKなら絶対成功させます。OKかNGか、今、決めてください!」とまくし立てた。しばらく沈黙が続いたんですが、パッと顔を上げた大家さんが「応援するよ」って言ってくれて。そのときの顔は忘れられないですね。
坂東:おお~、そんなストーリーがあったんですね。
坂田さん:だから絶対失敗できないですよ。そのとき身内や知人、社員からも借金しましたし。
坂東:何にそんなコストがかかったんですか?
坂田さん:リニューアル費用と撤退費用ですね。複数のハンバーガー屋を一気に畳んだので。撤退するにもお金かかるじゃないですか。銀行から追加で借りるのはもう無理だったので。
坂東:壮絶なスタートですね……。
坂田さん:その時点で、すでに相当ティール的でしたね。言ってしまえば、僕一人では何もできませんから。会社は僕のものじゃないなという感覚がそのころからあった。ティール組織へと変わっていく背景には、そんな前提があったと思うんですよね。
1店舗目から、100店舗規模の組織を見据えていた。
坂東:飲食店経営のノウハウはもともとあったと思うんですが、組織づくりみたいなことに力を入れ始めたのは、餃包になってから?
坂田さん:ハンバーガー屋のころから組織づくりには尽力してきました。ただ、いろいろやってみてわかったのは、どんなに素晴らしい事業目的を掲げても、赤字事業ではおままごとだということです。それは軍隊型もティール型も理念経営も全部同じです。
坂東:儲かってないと、ビジネスとして成り立たないですもんね。
坂田さん:そう、社会に貢献して存続できなければ組織形態いじくっても意味がない。だから、最初はやっぱり利益が出るようにしなきゃということで、毎日考え抜きました。ただ、オープン初日、今でも忘れられないんですが、お客さんがすごくたくさん来たんです。驚きました。ハンバーガー屋のときは全然来なかったので。当時の食べログの口コミにも、「このハンバーガー屋はいつ行っても空いているから使いやすい」とか書かれてましたから。見るのが辛かったですね。
坂東:この立地なら(六本木交差点の真横にある)、普通にお客さん来そうですけどね。
坂田さん:いや、やっぱりダメな店はダメ。一時期売上が良かったのが急に落ちたので、焦って色んなことをやったんです。それが逆にダメだったんですよね。一貫性もまったく無かったので。
坂東:なるほど。
坂田さん:ところが餃子屋は、オープン当初から店が回らないくらいお客さんが来てくれた。めちゃくちゃ嬉しかったです。「忙しくて回らない!死にそう!」という状態が本当にハッピーで。お客さんが来ない絶望感や恐怖を身に染みて知っていますから。それを知らないスタッフは「人が足りない!」「忙しすぎる!」って文句言ってたけど、僕らはその感覚無かったんですよね。、幸せで。
坂東:確かに、この場所でこの単価でやるとなると、相当客数回さないと厳しそうですもんね。
坂田さん:いや、昔はもっと安かったんですよ。そこからいろいろ改善を続ける中で思ったのが、この業態はすごくポテンシャルがあるな、ということ。いずれは多店舗展開できるという確信と、チャレンジしたい気持ちがあった。ハンバーガー店では、7店舗目くらいで僕ではもう見きれなくなったので、餃包は最初から多店舗展開できる仕組みをつくろうと考えました。もし100店舗になったら、僕が現場にいては何もできない。そこで、最初の1年でスパッと現場からは離れたんです。僕がいなくても、自律的に改善や成長が続いていく組織にしよう、と。
坂東:おお~。
坂田さん:ちょうどそのころ、企業研修の講師のオファーも頂いたので、これはもう、強制的に現場から離れられるし、良いなと思ってやり始めたのが3、4年前。現場から離れると、どうすれば遠隔で経営できるか、どういう組織形態がいいのかを考えざるを得ない。今は1年のうち180日は全国を出張して講師活動をしていますが、そんな状態でも店が回るようにするには?という試行錯誤を3年ぐらい続けてきました。
坂東:だいぶ早い段階からやってらしたんですね。
坂田さん:ハンバーガー屋時代から、星野リゾートさんなんかはベンチマークしていて、本も全部読みました。そう考えると7、8年くらい前からですね。「ああいう自律的な組織っていいなあ」と、本に紹介されていたことを餃包でもいろいろ試してみて。そうこうする中で、大きな意思決定なんかもありました。
坂東:一体何を変えたんですか?
坂田さん:焼き餃子を出すのをやめたんです。
よし、売上のほとんどを捨てよう。
坂東:そっかそっか、最初は焼き餃子もあったのか。そういえば、大家さんには焼き餃子を出したって言ってましたね。
坂田さん:そうそう。それをやめて、水餃子専門店にしようと決めた。まあ、日本で餃子と言えばやっぱり焼き餃子なんですけど。水餃子と焼き餃子があったら、やっぱり焼き餃子が出る。当時、売上のほとんどが焼き餃子という状態で、それを出すのをやめたんです。
坂東:マジですか!
坂田さん:売り上げのほとんどを捨てるぞ、と。
坂東:なんで変えたんですか、水餃子に?
坂田さん:うちの餃子は焼きよりも水餃子の方が合うんですよ。
坂東:戦略的に業態を研ぎ澄ませたということ?
坂田さん:もちろん、それもあります。日本では水餃子の専門店がないので、自分たちが売れれば将来的に競合しないな、という思惑もありました。
でもそれ以上に、単純に水餃子の方がうまいんですよ。
父が台湾人という話をしましたが、台湾と言えば小籠包。そこは、あふれ出る肉汁で表現している。
で、母親の生まれは熊本ですが、熊本の名物といえば『だご汁』。いわゆる、すいとんです。餃包の餃子のモチっと感はそこからインスパイアされている。つまり親孝行のために生まれた水餃子なんです。
坂東:なるほどなるほど。
坂田さん:だから、もともとが水餃子なんですね。焼くのは合わないだろうなと最初から思っていた。でも、資金繰りのために売上が必要だったので「売るためには焼き餃子だよね」という妥協でスタートしたんです。
坂東:なるほど、妥協だったんですか(笑)
坂田さん:そこから順調に売上が上がっていって、そろそろいけるんじゃないか、と。一部のメンバーはその背景を知っていたので問題なかったのですが、いざ全スタッフに発表したときに、社内で暴動が起こりそうになった(笑) 「社長が狂ったぞ!」と。
「そんなことするなら私もう辞めます!」というスタッフまで出てきた。
坂東:それはヤバいですね。
坂田さん:ミャンマー人の女の子なんかもう激怒しちゃって。「社長、何考えてるんですか!私も生活が懸かってるんです!」と。
それで、納得いってない子たち一人ひとりと話をして。そのミャンマー人の子は店への想い入れも強くて、しょっちゅう意見を言ってくる子でした。
これまで、僕とも何回も喧嘩してます(笑) そのときも30分ぐらいしっかり話しました。
坂東:どんな話をしたんですか?
坂田さん:正直に伝えましたね。「僕はうちの焼き餃子は好きじゃない。美味しくない」って。そうしたらもう“キョトン”としちゃって。「好きじゃない」って言われたらもう何も言えないって感じだったんじゃないですか。
「僕は水餃子の方が愛してるんだ。こっちを売っていきたいんだ」と。
納得いかないけど、好きじゃないならしょうがないと、しぶしぶ合意してくれました。
坂東:おお~。
坂田さん:ただ最後まで言われたのは、「お客様から焼き餃子ないの?って聞かれたらどう答えればいいんですか?クレーム出たらどうするんですか?」ということ。
「私、きちんと答える自信ないです」と。これはまずいなと思って、そこから僕がクレーマー役になって30分ほどロープレしたんです。「なんで焼き餃子ないの?」と聞いたら、「申し訳ございません。私も焼き餃子はあった方がいいと思うんですけど……」って返ってきて(笑)
坂東:ハッハッハ!(笑)
坂田さん:それはダメだ、それは言っちゃいけないと伝えて、それから3回くらいやったんですが全然うまく答えられない。しまいには「すみません。でも、うちの社長が焼き餃子は無くせと言うから……」とか言い出して(笑)
それで僕が交代してやって見せたんですね。「とにかく1度食べてみてください。その後で話しましょうよ」と。そうしたら彼女が「そんなんでいいんですか?それならできそうです」と言って。そんな風に無理やり巻き込んでいきました。
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