★第7回ホワイト企業大賞受賞!★
・役職がない
・工場長も上司もいない
・シフトを決める人がいない
・会社の強みは「社長が無関心なこと」と社員から言われた
・現金が入った缶を工場に置いてあるが誰も取らない etc.
といったユニークすぎる特徴をもつ、タニカワクリーニングを訪問取材しました。 谷川祐一さん(代表取締役/左)に、自律分散型経営に詳しい青野英明さん(青野税理士事務所代表/経営デザイナー:右)も交えて、トークセッションが行われたのですが、その模様を2回に分けてお送りします。後編はこちら
0:19 谷川祐一さん(左) 工場長のネガティブキャンペーン「もうやってらんない!みんなも早く辞めた方がいいぞー!」 そして12人いないとまわらない工場で8人が辞めた…
3:55 青野英明さん(右)の解説① 「臨死体験」「倒産」「投獄」レベルの実存的危機が、変容の扉を開けた
7:00 さんざんダメ出しし続けてきた研修会社が「あなたの会社は、管理職が要らないかもしれないなあ」
10:15 青野英明さんの解説② 「実存的変容が起きた人は、確実に運が良くなる。」
13:30 青野英明さんの解説③ どうしようもない危機が起きた時、人はどんな行動をしますか?
19:05 谷川さんの子供時代 「父親が地域ですごく有名な不良だった」 「クリーニング店をつくったが、評判が悪すぎてお客が1人も来なかった」
29:03 俳優を志して23歳で養成所に入った 売れそうになったところで父親から「帰ってこい」と連絡があり大喧嘩。
33:30 3年で立て直そうと思って地元に帰ると、会社は予想以上にひどい状態…! ビシバシの管理体制を敷いた。 でも、会社にお金が残らない…なぜ?
■タニカワクリーニング https://tanikawa-cl.com/
■青野英明さん(青野税理士事務所代表、経営デザイナー) https://aonohideaki.com/
■2021年1月 手放す経営アカデミア 開校
http://tebanasu-lab-5649989.hs-sites.com/tebanasukeieiacademia-0
■手放す経営ラボラトリーでは、“ティール”“ホラクラシー”など進化型組織や最先端の経営スタイルを研究。また、組織を新しくアップデートしていきたいという企業の支援をしています。
■デジタルトランスフォーメンション時代の組織デザインプログラム「DXO」
■オンラインコミュニティー「手放す経営ラボ」
https://www.facebook.com/groups/tebanasu.lab
■twitter @tebanasu_lab
谷川さん:『近隣のクリーニング屋さんが倒産してNo3という統括本部長が辞めます、その時にネガティブキャンペーンが始まって「お前らこんな会社辞めた方がいいぞ」っていうことを陰で色々されていたみたいなんです。結果、1ヶ月で8人辞めました。12人いないと回らない工場で8人辞めて4人しか残ってない。で、僕と専務とその時に新入社員で店舗用に入ってた男の子と女の子、店舗の人員で入ってた子達で、僕ら4人で話している時にちょうど統括本部長が入ってきて、その子たちのいる前で「やってらんねーから辞める」って言って、それを聞いた4人中3人が「何なんだあいつ!やってやろーじゃねーか!」って火がついたんです。それで、4人で工場に入って立て直すことになりました。もともと12人いたんですけど、8人辞めて4人になって、4人入って、8人で工場をやらないといけない状況になった。辞めていっちゃった人たちが全員ベテランだったんですよね。初心者の人とあとは77歳の方しか残っていないという、みんなで協力してやらないと突破できないような状況に追い込まれたっていうのがあって、僕自身も素人なんですね。妻が一番やってやるよみたいに言ってたんですけど、全然やったことないんです。」
麻美さん:「何も使い方分からない。笑」
谷川さん:「やってやるよ、見返してやろうぜ、あいつ!って言って、でアイロンってどうやってやるの?っていうそこからでした。工場の人たち、パートさんたちに聴きながら教えてもらいながらやっていくってなったので、最初から本当はパワーポジション持ってたんですけど、持ってないですよね、完全に。技術とか経験全部向こうで上ですから。僕が一番ぺーぺーでやってるので、それで色々相談しながらどうやったらいいんだろう?みたいなのを調べたりとか、あとは周りのクリーニング屋さんの知り合いに教わりにいったりをしてたので、全然考え方の基準が普通じゃない感じになってた。」
研究員:「そこから自然とああいう(実際に工場で見てきた)やり方がいいよねとなったんですか?」
谷川さん:「ポジションが12個あるのに8人しかいないわけですから、マルチタスクでやらないとできないですね。サッカーの試合11人でやるのに3人退場になったのと一緒ですよね。人数が少なくなってみんなの意識が変わると強くなったりするじゃないですか。そういうところからですかね。」
青野さん:「実存的な危機を乗り越え、変容へというプロセスへそこで進まれた。でも、この実存的危機っていうのは訪れた時はティールの扉が開く瞬間なんです。この実存的危機ってどうみてもウェルカムじゃない事象なんです。一番でかい扉は臨死体験か倒産がリアルにイメージできるかっていうのが一番開きやすい状況なんですよ。」
坂東:「投獄も言いますよね。」
研究員:「そこにいく前に変容が起こる方法はないですか?」
青野さん:「ないです。ただ、これはあくまでティールまでの道です。自律分散の道があるので。ただ、私は最初お会いした時に、こういう世界観を聴いてたら確実に変容した後だったんですよ。で、ご本人とすれば自分の思っていることとかやりたいことが世の中のスタンダードと合わなすぎて困ってるんだみたいなニュアンスでしたよね。」
谷川さん:「そうですね。研修会社さんの研修とか色々受けていくとマネジメントとか色々習うんじゃないですか。で、社長とはとか管理職とはとかポジションの決め方とか色んなのをやればやるほど何かやりたくないなという気持ちになって、自分のところのやり方を話すと何なのお前の会社はと言って、すごく怒られるという現象が起きていて・・・」
坂東:「それは危機の後ですか?」
青野さん:「そうですね。変容した人は、現存の今の社会でめちゃくちゃ生きづらくなるんです。」
研究員:「確かにまだマイノリティですからね。」
谷川さん:「マネジメント研修みたいなのを受けると、疑似組織を研修に参加する人が作って30人くらいで社長、専務などの役職を決めていって半年間とか1年間それでやってみようというのをやるんですけど、そこで組織とはみたいなのを習って、僕はたまたま上のポジションになっちゃったんで、全部組織を崩壊させていく。フラット型を作るってすごく講師の方と喧嘩になるみたいな。青野さんがその時いらっしゃってたので嫌です、研修行くのっていう話をしていました。」
坂東:「それ何年前くらいですか?」
青野さん:「2年前くらい。それティールっていう今観測されてるものですよ。って言って。ティールなんで、古い常識に経営はめるの止めましょうって言って、それでやってるから意外に研修会社も素晴らしい!ってなった。」
谷川さん:「最後の最後で講師の方とかチューターみたいな人は相当言われてましたけど、一番最後に経営発表みたいなものを全員の前でやってくださいって言われて、うちの会社こうですって包み隠さず全部言ったら、他の人からは言われましたけど、そこの会社の社長からはいや君のところには管理職はいらんなぁって言われて、僕たちも君のところから学ぶことがあるみたいな感じで、何でそうやって言ったのか分からなかったですが、そういうのあるのは知ったけど、全部が当てはまるわけじゃないから、まだそれはみんなにこうした方がいいって言えないやつなんだっていうのを後で教えてもらったんです。っていうのはありました。」
乾:「青野さんが一番最初に理解してもらった人みたいな感じですか?」
谷川さん:「そうです。そういう会社を何て言うか知ってますか?って言われて、何ですか?って言ったら、ティールって知ってます?なんですかそれ?それで武井さんを紹介してもらって。」
研究員:「もともとどういう繋がりだったんですか?」
青野さん:「麻美さんが研修に行って隣に座った人がうちの会社の顧問先だったんです。え、神栖の人なんですか。茨城にすごいヤバい税理士いるの知ってるでしょ?」
麻美さん:「いや、知らない。その場で電話してもらって、よろしくお願いしますみたいな。ちょうど税理士さん探してたんですよね。」
谷川さん:「税理士さんと労務士さんとケンカになることが起きて会社を立て直そうとして色々やってると考えが合わなくて、出してもらった決算書をもう一回専務がそうかんじょうのちょうから作り直すっていうことをやったんです。全部税理士さんにお任せして、全く経緯について知識がある人がこの会社に1人もいないという状態でやってたんです。で、ずーっと経営がうまくいかなくて、どうしようもなくなった時に財務コンサルタントの方に相談したらあなたの会社には経営が出来る人が1人もいない。1人でもそういう人がいなきゃいけないんだ。社長にそれはできないんだったらあなたがやるしかないんですとその先生に言われて、その方は社長夫人育成講座っていうのをやっていらっしゃる福岡の70代の方なんですけど。」
麻美さん:「ネットで見つけて行ったんです。」
谷川さん:「家庭教師みたいなのをしてもらって、それで経理を全部作り直してやるってやったらその中で分からないことを税理士さんに聞くと、聞かれても困ることがあったりするので、それでもう最後は税理士さんの方が音をあげて、もううちのやり方が気に入らないなら止めてもらって結構だと言われて、いきなり税理士さんがいなくなった。」
麻美さん:「その方に労務士さんもお願いしてて、両方突然いなくなったので半年ぐらい泣きながらやってた。労務も勉強しました。」
青野さん:「それはラルーさんも言ってましたけど、明らかに運がよくなるということが起こります。実存的変容を経た人は明らかに運が良くなる。でもこれもちゃんと運が良くなるのは理論的に説明がつくんですよ。量子力学の世界で場の理論っていうのがある。これはすごく分かりやすく言うと、例えば、この場とは全く関係ない外国のある場で縦回転する量子、人間の身体って全部量子なんですけど、縦回転する量子があったとするとそのうち何%かはこの場でも縦回転するんです。これは何でかっていうとフィールドって言うんですけど、場の力学の話で言うと、フィールドというものを捉えて、何かフィールドってものがあって、そのフィールドの中に入ると同じ情報を共有するっていう、人間の意識は氷山の一角で下でつながってるっていう話があるじゃないですか。これは量子力学で場の理論と言われている。これが我が国の古くからの話で言うと虫の知らせっていうことなんです。なので実存的変容に入った人はこのフィールドをキャッチするのがうまくなるんです。これがまさにティールで言うところのコールなわけです。天の声、神の声が聞こえるか。この領域に入ると、何だか分からないけど何かをキャッチするんです。なので運が良くなるっていうことが起こるっていうのがちゃんと理論的に説明してもらう。」
坂東:「で、青野さんが降臨してきたっていう話ですね。」
谷川さん:「そうです。うちの専務はかなり神懸かっているところがあって、福岡に行くと必ず誰かを連れてくるんです。」
麻美さん:「人運があるんです。昔から。」
青野さん:「で、当然ですけど武井くんともウマが合うわけです。じゃぁ、どうやったら実存的危機を乗り越えて変容に入れるのかっていう話を私はちゃんと社長の過去をヒヤリングしたらなるほどなっていうポイントがいっぱいあるんです。なので、ちょっと過去を語ってもらいながらこの実存的危機を乗り越え、実存的変容に入っていくのをお話できたら。」
谷川さん:「何かめっちゃハードル高くなりましたけど。笑。」
青野さん:「先週もこういう経営の勉強会あったんですけど、ちょっとこういう話じゃなくて、もっと手前の立て付けの話をしてたんですけど、今日いらっしゃってる皆さんには実存的変容の話の方がいいかなと思いました。で、例えば何か受け入れられない危機、谷川さんの例で言うと、倒産の危機。こいうう時に人間がとる行動って何でしょう?どうすれば入るんでしょう?の手前で、どういう行動をする人がいると思いますか?っていう、1回選択肢で出してみましょうか。」
(会場の皆さんから)
「逃げる、酒に溺れる」「がむしゃらに動く」「思考停止」「相手を説き伏せる、戦う」「受け入れる」「助けを求める」
青野さん:「こんな感じで色んな選択肢が出てくるわけですが、危機って誰が作ったものなんでしょう?そして、その危機をレンズで増大させてみてたりしないでしょうか?ってことなんですよ。問いとしてここに現れてくることは。まず、誰が作ったの?で、等身大に扱えているのか?っていうことなんです。8人辞めて、倒産したとしてどうなりますか?殺されるんですか?っていう話です。」
坂東:「誰が困るんだって話ですかね。」
青野さん:「ありもしない現実を先読みして不安を増大させて酒に逃げていませんかみたいな。」
研究員:「問題として捉えない。」
青野さん:「坂東さんの知り合いで博多にここシスさんっていう会社いますけど、リアルに倒産しそうになった時に銀行がお金払ってくださいよって来るわけですよ。銀行借り入れ返済できないので、そしたら、いやー、ちょっとオフィス中にあるお金全部持って行ってって言われて6円くらいしかなかった。銀行も笑ってたっていう。死なないんですよ、本当は。問題なのは実存的危機を迎えたときにありもしない事象を頭の中で組み上げてしまうという行為かもしれないんです。で、これって実は生い立ちとかにめちゃくちゃ影響があるんですよ。その人が実存的変容を迎えるまでの歩みの中にものすごくヒントがあって、というところでどういう中学、高校時代だったのか、社会人時代だったのかを聴いていただくとこのへんの話を多面的に理解していただけるかなと。」
谷川さん:「めっちゃ丸裸じゃないですか。笑。ちょっとお話させてもらうと、もともとこの会社はうちの父がつくったもので51年前に創業してたんです。うちの父はこの土地だとすごく有名な不良で中学とかでヨソの学校に乗り込んでいってケンカをするような番長みたいなタイプだったんです。ちょっと有名すぎて卒業する時にどこも就職先が決まらないっていう事件が起こりました。笑。で、お兄さんがいて東京で床屋さんの修行をしていて、その床屋さんの隣がクリーニング屋さんだったんで、そこに丁稚奉公で入れられて、そこのすごい厳しい親方にかなづちで頭を殴られながら教わったらしいです。
何度も何度も逃げるんですけど、連れ戻されて、厳しく先輩と親方に指導されていくうちにだんだん覚えていくわけですよ。でやっていったら、今まで何をやっても大人に褒められたことがなかったんですけど、仕事を覚えてお客さんに喜ばれるような技術を身につけると、お前もそろそろ一人前になってきたなって認められるようになってきた。それですごく楽しくなってしまって、じゃぁ、いつか自分の店を持ちたいって思うようになったんです。
で、27ぐらいの時にこちらの開発が始まって港ができて、何もなかった街に企業がくるようになってここにチャンスがあるということになった。で、地元に戻って商売しようということで始めるんですけど、始めたはいいんですが、本人の評判が悪すぎてお客さんが全然こないという状況になるんですね。で、お店を開けててもお客さんが来ないので、お客さんのところを一軒ずつ三河屋さんみたいに回って、ああいう感じでお仕事を集めるような営業を自分で始めたそうなんです。で、すごく人相が悪いなんですけど、鏡で笑顔の練習しながらやったって言ってました。それのおかげで外から色んな人がいっぱい集まってきた土地だったので、そういう人がお客さんになってくれてガンガン成長していきました。そうするといきなり軌道にのってきたなと思った頃にその土地の自分の後輩ですね。また、同じような不良少年みたいな人たちが俺も雇ってくれみたいな感じで来るんですよ。何だ行くところないのか、じゃぁ、しょうがねーなと言って、自分と同じ境遇の人たちをどんどん入れていくので僕の小さい頃に働いている会社は本当に組事務所の人たちみたいな感じ。みんなパンチパーマで剃り込み入ってて、ランニングシャツで髭で肩組んで笑って写っている写真とかたくさんあるんですけど、そういう感じなんです。ただ、すごく後輩想いとか仲間想いだったんだなっていうのは分かるんですね。ただ、ちょっとヤンチャが過ぎる人だったので家庭としてはどうなんだろうみたいな感じでした。で、妹と僕とうちの母親と4人家族だったんですけれど、家では酒飲んで暴れるとかちゃぶ台返しとかって実際に僕の家では普通に起こっていたので、怒ると何で怒っているのか分からない感じで、物が飛んできたり殴られたりとかそういう感じだったので、家庭環境は暗かった、良くなかったと思います。で、商売をやっていると儲かったり儲からなかったりというのがあって、お金があったりなかったりとかあります。お金がないと親は揉め始める。お金があるときは何となく普通という感じだったので、あんまり商売に対していいイメージがなかったんですね。働いている場所も今も違っていて暑かったですし、働いている人もランニングシャツのパンチパーマの人しかいなかったんで、あまりいいイメージがなかったんですね。なので、僕はすごく商売に対して嫌だなぁというのが小学校から中学校までの思い出です。で、父親はすごく厳しかったので、ケンカに負けて泣いて帰ってくると外に叩き出されて勝つまで帰ってくんじゃねーって言われて追い出されるような感じでしたし、逆らったりするとそのまま首を掴まれて、お風呂場に連れていかれて水の中にバーンって頭から突っ込まれるとか、あとは一番すごかったのは学校から帰ってきたから妹の叫び声が聞こえるので何だろうって思ったら、2階から足持たれて宙吊りにされてるとか、そういうことが起きる家だったんです。なので親父に逆らったら殺されると思っていて、絶対に逆らえないって思った。で、ダメなやつだ、なにやってもダメだって言われるんで、自分はダメなやつだってずっと思い込みながらいくんです。だからすごく暗いし友達がいない状態。で、中学卒業して高校入った頃から早くこんな家出たいと思って、トレンディードラマとか観て、大学生とかすごく楽しそうだなと思って、絶対東京の大学に行こう。そうすれば自分の人生変わるって信じて大学に行ったんですが、大学入ると何も変わらないんですね。飲み会とか行って合コン行って彼女つくろうって思うんですけど、合コン行っても、行ったら彼女ができるわけじゃないじゃないですか。喋れないんですね、全然。何も変わらない。そこで初めて親のせいじゃなくて、自分自身に問題があるんだって初めて分かるっていう状況になって、そこから生きててもしょうがないなみたいなことまでアホみたいですけど、考えてたんですね。でも、このまま死ぬっていうのは本当に何もいいことないまま終わっちゃうから、思いっきり自分を変えられないか試してみようと思って1年くらい修行じゃないんですけど、女の子にモテるためだけに時間を使うっていうことをやるんですよ。学校行かずにとにかく喋れなきゃいけないから、お笑い番組とかを全部録画してコマ送りで観ながら、なるほどまっちゃんはここでツッコミ入れるんだとか、浜ちゃんこういうところでツッコミ入れるんだとかそういうのをすごく勉強したんですね。で、あとモテる友達がいたからそいつはどういう話をしてるのかとか、どういう服を着てるのかとか、コンビニにあるファッション雑誌片っ端から買ってみたりとか、カラオケの歌練習したりとか。ボイストレーナーの人の所に行ってやってみたり。スポーツジムに行って身体鍛えてみたりとか、そういうのを1年んくらいやってると、それなりに人間って変わってくるんですよね。だから、そろそろいいかなと思ったところでめちゃくちゃモテた。そして、おー!人って変われるんだっていうのがありました。で、大学生すごく楽しかったんですけど、父親継いで欲しいって思ってるんで、継ぐの嫌だなぁって思ってたんですけど、大学4年くらいに急にやりたいことがあるなら戻ってこなくていいって言われて、チャンスだと思って、そこから就活で動いたんですが、何もやりたいことがなかったのでどこも受からなくて、結局フリーターになっちゃう。フリーターで1年過ごしたんですけど、フリーターで生活するのってこんなに大変なんだ東京ってとなって、妹に食べさせてもらったみたいな感じでした。当時、派遣業が始まった。windowsが出た頃。excelやwordが使えると時給2000円といった時代だったので、派遣登録して行った会社がセガエンタープライズっていう会社だった。で、そのままそこに入って社員にしてもらって、そうすると給料が20万とかもらえるからすごく生活安定したなって思って、でも、この生活があと何年続くか分からないから今までの暗い時がすごくトラウマになってるのでこれを何とか取り返さなきゃいけないっていう想いがあったんですね。で、今しかできない、俺しかできないことやろうと思って、そこからいきなり俳優になろうと思って、養成所に23歳で行ったんです。で、モテるためにやってて、結局僕モテるためにやってモテたんですけど、誰とも付き合ってないんです、その頃。意味がわからないんですけど、すごいチヤホヤされて、飲み会とかに行って何か面白いこと言うとウケるわけです。そうなると死んでもいいっていうくらいに気持ちよくなって、誰か1人と付き合ったらそれがなくなっちゃうんじゃないかっていう恐怖心があって誰とも付き合えなかった。そうやっているうちに自分っておかしいなって思いながら、これ仕事にできたら最高だなって思ってたんです。だからお笑い芸人とかタレントとか役者になれたらいいなって思いながらやれないでいたんですが、お金があって、時間があって、今だったらやれちゃうなってなったらやらない理由がないので、じゃぁもうやってみようっていうのでチャレンジして俳優やるんですね。で、養成所行くとみんな18歳で僕だけ23歳っていう感じで。後から知ったんですけど、20歳超えて初心者の状態でやろうと思っても無理な世界だって言われたから、ただどうやったらそこで生き残れるかって考えて、みんなはバイトしながらやってるけど、俺は正社員で結構金持ってんな。だったらこのお金を使って何とかならないかなって思った。全部自分に投資して、他の人たちができないような訓練をやっていくと意外といけちゃうんです。で、5年くらい経ったらプロダクションに所属させてもらってお仕事がもらえるぐらいになって、このままいくと俺ちゃんと食えるかもしれないって思ってた頃に父親から帰ってこいって言われた。で、今度は父親と戦うんですけど、父親は絶対帰ってくるもんだと思っているので、今まで逆らったことないですから。ここは勝負しないといけないなと。そのとき28歳だったんですけど、帰ってきて、お前いつ帰ってくるんだ?って言われて、申し訳ありませんが、もう帰ってきません。死んだと思ってください。僕にはやりたいことがあるんですって言ったら、何をやりたいんだって言われて、俳優をやりたいって言ったらお前ふざけんなー!!!!!って言われてちゃぶ台がひっくり返った。そこから大げんか。でも、死んだと思ってって伝えているので東京に戻った。1ヶ月くらい経って妹から電話がきて、どうした?って言ったら、あれから家から大変なことになってるって言われて、お父さんあれから一度も働かなくてずっとお酒飲んでて、暴れ回って、母親がうつっぽくなってしまって、限界だって言われたんです。それで、実家もう一度戻ってもう一回話すことになった。で、今度は暴れないで膝突き合わせて、何でそんなにやって欲しいんだって話を聞くんですよ。そしたら、うちの会社には40人の人が働いている。その人たちには4人から5人の家族がいるんだ。全部合わせると200人くらいの人がうちの会社で食ってることになってる。この人たちを路頭に迷わせる訳にはいかねーんだ。今うちの会社はうまくいってない。俺の力じゃ無理だと思ったからお前が必要だ。だから何とか立て直してくれって言われて、初めて頭下げるところを見たなって思った。で、自分は自分のやりたいことがあるけど、何でお前のやりたいことを俺がやんなきゃいけないんだよと思うんですけど、誰に育てられたと思ってんだとか言うけど、あなたに育てられてないしみたいな思いもあるわけですよね。だけど、自分のことだけ考えてる自分と働いている人とその家族のことを考えている父親とどっちが正しいんだろうと思って、で、じゃぁやるしかないかなぁって思って、ただ裏目標で3年以内に立て直してもう1回東京に戻ろうって決めて帰ってきたんです。で、その時にそのプロダクションの人に仕事とかが結構ふられて、こんなこと起こるのっていうくらい君を売っていこうって言われてた時だったんで、いやー、これ全部キャンセルかって思ったんですけど、申し訳ないです。もうできないですって言って、え?何で急に?って言われて、実家がこういう状況になってるので帰りますって言ったら、もうその事務所の社長も超激怒で、全部キャンセルになって、大損害与えたので、今でもそこの養成所では新入生が来たら前に社長が来て、いいかお前ら昔こういうやつがいたー、みたいに僕の話をずっとしてるみたいです。こういうこと絶対するんじゃねーぞーって言ってるのずっと続いていると聞いてます。そういうのがあって、帰ってきて3年で立て直そうってやるんですけど、とてもじゃないけど立て直せるような状況じゃない感じで、すぐにやれる気がしないってなっちゃいました。で、店舗とか行くと、昭和のいい臭いがする感じの店舗ばっかりで、他の大手がいっぱい来ていて素敵な店舗がある中で昭和感漂う営業をしてたので、これはまずいぞ。店舗自体も働いている人が私物化してるんですね、店舗を。自分の家の家具を持ってきて畳敷いてちゃぶ台持ってきて、近所のおばちゃん呼んでお茶会開いている店舗とか、棚を持ってきて漫画本いっぱい入って漫画喫茶みたいになっている店舗があったり、一番すごかったのはダイニングセットを持ってきて、ティーポットとかティーカップとか全部2つずつ、歯ブラシも2個あって、彼氏と住んでる状態のお店とかそういう状況のお店ばっかりだったんです。店員さんが自分のお店だと思ってやってる。その当時、うちの親父が言ってたのは自分のお店だと思って、自分のお客さんだと思ってやれ!と言ってたのでその通りだった。ある意味自律分散してる感じだった。笑。本当にそんな状況で立て直さないといけない状況だったから、僕がやったのは大手を真似して、全部マニュアル化して管理をめちゃくちゃ厳しくすることやって、言うことを聞かない人は呼びつけて8時間説教みたいなことをやっていました。」
坂東:「状況悪かったっていうのは実際に売り上げが悪かった?」
谷川さん:「売り上げが1億ぐらいですが、借金が6,000万くらいあって債務超過だった。当時決算書読めなかったのでできた。普通だったらやめてる。今だったら恐ろしいって思う数字でした。決算書読んだらできなかったと思う。ビルド&スクラップしながらそれで改善していって、大手をパクっていって大体2億くらいまで上がって赤字も出なくなったんですけど借金が増えてたんですね。で、利益が年間で10万くらいしか出てなくて、何でこんなにお金がないんでしょうって当時の税理士に聞いたら、何ででしょうねって言われて、給料とりすぎなんじゃないですか?って言われて、僕当時給料15万くらいで、そんなはずねーだろって思って、そこから色々勉強するようになっていったんです。」
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